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6月, 2020の投稿を表示しています

  すすかけの道を行く あしあとは風が消してくれる                      

*わたしという集合体

下りのエスカレーターに乗っているときに、なにかがおかしい、とわかった。  たぶん、わたしはこれからなくなっていくのだろう。  わたしがわたしではなくなることに、今日のあの一瞬が生じ、あいまいにもわたしはそれに気がついたのだ。  認知したと言ってもいいかもしれない。おもえば、わたしはここしばらくのあいだ、とてもおだやかに生きていられた。  弱い目や耳をまもり、わたしがわかる(認知可能)わたしであることを選択できていた。ここまでなのかもしれない。わたしという存在は集合体だから、わたしが失われるとか、第二面に取って代わられる、干渉され埋没したわたしの外膜に意思決定権が移行するなどという表現はおかしいかもしれない。  どんなわたしでも、ここにいて、わたしが知るかぎりには、わたしであるしかないのだ。  もしも、突然まんめんの笑みを絶やさなくなっても、もしも、すう年来ことばを話していなかったはずが会話をもちかけても、どこかへ出掛け、明日のことを楽しみにしたり、怖いとかんじることをその通りに怖いと思っても、それもわたしなのだ。だけど、わたしはおとといまでのわたしがよかったな、とおもう。  いまになって、いろいろなものをもたないでいたわたしが、わたしにとっては易しく、あんぜんで、みちたりたわたしであったのだとわかった。もうすぐ、かもしれない。  あと五分後には、もうわたしはいないのかもしれない。  こうして、いままで話さなかったことばを話している時点で、もう転換は行われているということかもしれない。  五分後と五分前のちがいをわたしはしらない。 エスカレーターはきちんとわたしを一階へはこんだ。  それからは見る景色、聞こえる音、匂い、気配、すべてが、これまでの感覚との差異をそなえている。  なによりも、わたしとわたしが、やけにたくみに重なっているようなのだ。  重なりにあるミリ単位のずれが、肉体をとおくにかんじさせ、感覚をわたしという集合体から仲間はずれにしている。  だからまだ、わたしはなくなっていない、肉体をよりよく司るわたしに押し出されたけれど、まだここにいる、まだわたしはわたしだ、ということにしよう。 ︎6/3

*もしも蝶に問われたなら

わたしがなくなるということは、 わたしにとっておかしなことであって、わたし以外の現実( もしもそのようなものが存在しているならば) にはさし障りないことだ。 わたしはいまもおだやかなきぶんでいる。とらわれたり、 駆られたり、夢中になったりしていない。背中も手も、 だれにも触れていないし触れられていない。 不当な人生だ、とはいちども思ったことがない。 美点ではないとわかっているけれど、 わたしが許せなかったのは自分自身だった。ひとや、 社会を憎まない代わりに、さんざんわたしをなじってきた。 ごめんね、と言おうかな。 この年になるまで、わたしのことがわからず、 歯がゆさについつい頭に無理をさせてきたこと、 身体をニセモノのように扱ったこと、 ないことにしたくて折り紙みたいにしわくちゃに丸めたり、 ときには、折って、鶴にして、百万羽の最後尾に紛らわせたこと、 ごめんね、謝るよ。 花にたいして、「蝶になりなさい」 と言いつづけてきたようなものだ。しかも蝶のうち、 よくとべるあざやかな羽色の蝶に変わりたかった。( もとの姿に戻りたい、とさえ思ったこともある) いま苦しんでいるひとに、 だれかの手が差し伸べられればいいとおもう。 転んで膝をむいているひとや、方向がわからなくなったひと、 身体がいたいひと、こころが混乱しているひとに、 たすけは必要だ。 基質と変質をとりちがえていたわたしが、ひとつ席を空ける。 あたらしいわたしは歩くことを苦にしない。 休みたいひとが休んで、また歩き出せることを祈る。 わたしはいま、苦しくない。 つよがりでも、絶望でもない。 また、同時にこんなふうにもおもう。 九時間の労働のために、八十四時間の休みが必要な、 一般からするとたいへん情けないわたしだが、これで充分よい。 すばらしくはないかもしれないけれど、 わたしにできることをさせてもらえる場所があるのだ。 そしてわたしにはできているのだ。これ以上なにをのぞむ。 あかるい明日はないとしても、 今日を精一杯生きている自分にこころは満たされている。 このさきも、 わたしにできる取り組みをひとつひとつつづけて生きていくことに 、ふしぎと恐怖心はわかない。あかるくない、わかっている。 だが、おかしくない。   ならばなぜ、ともしも蝶に問われなら、 わたしはなにと答えればよいだ

**言語(まほう)

まほうって、あのひとは言ったのだったか わたしの目にも、いま、まほうがかかっていて 世界がとても優しく 美しく 尊く 泣きたいほど愛しくおもえる わたしは、「みんなとおなじ」、 ということばにこだわってきたけれど、ようやく、わかった、 っておもう わたしは足りなくなんかなかった 手があって 足があって よくあることばだと思っても聞いて 声があって どこもいま痛くなくて 真実だとわたしが思えたことが大切だから わたしのぶんのロッカーがあって わたしが歩く場所がある あたまのなかには場所がなかったんだ 空間がなくて ことばもなくて だからわたしは安らげたのだけれど この 雑多な世界もすてきです わたしはじゅうぶんに生きている 価値があり 意義がある なによりも まほうにまもられている * わたしがなくなる、とふるえたのだった なくなったのかどうかはもうわからない ただ いまのわたしがここにいる

***ベンチ

視線 ひとがどんなにたくさんいても、わたしを見ていない ひとがどんなにたくさんいても、わたしだけを見ている たとえようのない視線が見たものは、 わたしのなにだったのだろう。 傷つくことは裏切りに思える。 しかしそのまえに、わたしはいちばんたいせつな、 ゆいいつの存在を裏切ったのではないか、とも思う。 * まだ子どもだったころ、公園のベンチに腰掛けたことがある。 わたしは空が見たかった。 空気を吸いたかった。 いまのわたしは、あのときのわたしなのかもしれない。 きんじられた幼いわたしが、いま、空を見て、 空気をめいいっぱい吸っている。 顔をあげられない愛しいひとに、わたしは手をふる となりのベンチに座るひとのために、わたしは泣けない   ひとがいのちであることを思いだそう。 あす、わたしに刺さる視線を、きちんと、いのちなんだ、 と受け入れよう。 あれは感情ではない、無感情でもない、いのちなのだ。 * ゆうきがほしいのだろう そのきぶんは、あんがい温順しく、長毛の仔猫みたいに、 ふわりふわりと先端をひからせる * しすがにしなさい

****ユートピア

かんかんひとつ、いのちみたいにしまっておく それとも、いのちひとつ、かんかんみたいに空にする? * 虚無は実存しないが、虚無感は生まれうる。 日々の選択と削除(おもに削除)ががんらいの思考傾向に干渉し、 ものや、ものごとを、虚無と呼んでしまいそうになる。 けれど、それはちがう。 もしもあす死ぬとしても、わたしの今日はここにある、 無ではない、真空でもない、ある。 死んだあとに意味が残らないからといって、 今日のわたしに時間をさきこさせて、 死んだみたいに過ごさせることはないのだ。 むしろ、生きねばならない。 本を読み、ご飯を食べ、感謝し、いくらかは泣き、 眠らねばならない。 いのちはそんなふうにして、愛してやるべきだ。 生活はそんなふうにして、生活させてやるべきだ。 ごうまんなわたしに所有されているのだ、 それくらいの返礼はしたほうがいい。 そうは言っても、迷いながら、 選んでいた本を受け取りに行くことにした。 ずっと読みたかった、このさきの人生にのこすつもりだった、 ほんの数冊。 いまあらためてみると、前向きなとりあわせだ。 わたしは救いたかったのかもしれない。 わたしを。 * 完璧ではないひとにかぎって、主義にしてしまう。 わたしもそう。 そのままでいい気がしていたのだけれど、思いかえして、 すこしこわしてしまおうと思う。 ここには、六月一日から七月三十一日までの、奇数日にかぎり、 ことばの予約投稿をしてある。 八月以降もそうしようとおもっていた。 時間のつながりが気に入らない性分であるから、 おくれてしか存在しないことばが、わたしにはやさしかったのだ。 予約投稿は八月一日までとする。 代わりに、偶数日になるが、 このような文章も付け加えることにする。 パソコンはもう手もとにないから、本文はメールで送信する。( おなじ理由で、細かなデザインの変更・調整はもうできない) 自分でつくったユートピアを、意識をひろげて、 すこしだけこわす。 こわれる音は聞こえないくらいちいさい。 わたしの心臓のほうがよほど、ばくばくうるさい。 説明するこの文章すら気に入らないが、すこしくらい、 苦しんだらいいと思う。 もうあまり心配事はないのだ。 気を楽にして、苦しむのもいい。

*****大好きだよと言い合うみたいに/これから枯れるのだ、あれは

てっぺんに楕円の雲がひとつあるだけの空に、 航跡雲がつづいていた。 二本の線はほとんど垂直に見えるように、 東の街から飛び出してゆく。 まぶしかった。 夏だから。 時間のさきっぽには、一機の旅客機があって、 あるのはもちろんだけれど、機影がはっきりと見えることに、 わたしはゆっくりと驚いた。 影の頭が、それは遠いせいだろう、丸みをおびて見える。 両翼はおもちゃのようにちいさく、 引き連れる雲ばかりがぼやぼやと滲んだ。 風のなかで、ハンドルから手を離して、わたしは、 こんどははっきりと気がついた。 十字架が飛んでいるみたいだ。 そう見えて、わたしは驚いたのだ。 もういちど見られる日があったならば、そのときは、 見えなくなるまでずっと見ていたい、とおもった。 * 今日はココアをのんだ。 のみたいなと思いつづけていたのだが、 身体がいらないと言っていたのだ。 はちみつをたらしてもらった。 おいしかったのかな。 もうわすれてしまった。 * おはようとわたしたちは言い合う。 大好きだよと言い合うみたいに。 あたりまえのことなどないと知ってから、世界は壮麗で、 あきらかで、すばらしく、だが苦しい。 だから、ぜんぶがうれしい。 わたしがいま働けていること、ご飯が食べられること、 愛するひとも愛してくれるひともいること、ぜんぶに、 こころからふるえる。 * ひまわりが咲いていた。 こんなにちかくに。いや、めのまえに。 首はもう折れてしまっていた。 これから枯れるのだ、あれは。 * 6/6

*ばん

わたしはことばに魅かれているとおもっていた。 ことばを求めている気になっていた。 ばん。 そんなふうに、突然気がつくことはありえないことではない。 意識以前に行為がはじまるように、 わたしのこころはわたし以前に知っていたのだろう。 わたしはことばではなく、いのちが恋しかったのだ。 ことばの奥にあるいのちに反応して、魅かれ、求め、あつめては、 つなぎとめられてきたのだ。 どんなに美しい文章であっても、すばらしい人生であっても、 いや、そうであるからこそ、いのちの匂いは消えてしまう。 生活はメロディに似ている。あなたが奏でる音は、 わたしの耳にはおおきすぎる。 鋭すぎる。 鍵盤だけがぽつんとある部屋を、とおん、とおん、ノックをする。 返事がないことに、わたしはさらにあんしんして、どこにもない、 ここにしかないピアノを、ちいさな覗き窓から見つめる。 ないことだけが、あんしんになる。 ことばを追いかけて、ものがたりをもとめて、 わたしがほんとうに見ていたのは、いのちだった。 わたしのなかの原子が、あなたの原子をとらえ、知る。 わけは、知る由もない。

**ひそひそ/平均の原理

いつまでたっても、食べるという記憶が手に入らない。 欲しい。 食べている最中ですら、自分が食べていることをわからない。 つねに結果しか見つからない。 目の前のお皿はこくこくと柄をだすし、 胃はへんに空気を食べてしまって軋んでいる。 おいしいはずなのだ、幸福なはずなのだ。 それなのにわたしは食べることをしらない。記憶にもない。 想像しかできなくて、すぎると、反動が箸を止めてしまう。 不器用なせいだとおもっていたのだが、 そうでもないかもしれないな、とおもい至った。 わたしはたまたま食べることに拘っているが、もしかすると、 ほかのこともおなじかもしれない。 わたしは歩くが、歩く意識はあるだろうか。 目は改行にしたがうが、そうしたいと思ってのことか。 指がことばをつなぐが、これはわたしのことばだろうか。 行為の記憶はあるか。 ほんとうに、思い出せるのか。 ない気がする。 わたしのアクセス可能な領域に、 それらの記憶はおさめられていないらしい。 これまでも、いろいろなことを見すごしてきたのかもしれない。 それさえも、しらなかっただけで。 わたしがしらないことを、しっている身体へ。 あなたがかんじられない幸福を、わたしが、遅れて、 やや創作してだが、噛みしめてあげる。 もちろん美味しい。歩き疲れた。今日はここまで。(入力) こっちもここまで。(出力) それでも、欲しいきもちは変わらない。 *︎ 貯蔵と廃棄はもちろんちがう。 しかしうまく言いあらわせられなくて、はがゆいな。 ばん。 というやつがまたあったのだ。わたしがなにかに追いついた。 ほんとうに捨てられないものなど、たぶんない。物だもの。 そもそも、いつかは無かったのだ。いまあるというだけだ。 所有しているきぶんは、ちょっと理屈に合わないかもね。 ばん。 電卓のことだ。 高かったし、必要な物だったから、わたしは電卓を、 わたしの延長のようにして、好きなだけ酷使してきた。 気に入っていたのはたしかだ。いまは使っていないが、それでも、 捨てることなど考えたこともない。 だって、今日や明日にでも、なにか、 計算しなきゃいけないかもしれないじゃない。 なにかがなになのかはわからないけれど。 右腕を捨てようかな、なんて考えることがないように、 電卓はとくべつ枠として存在していて、 どうもこうもしようなどとは考えた

**世界中が工事中

わたしのために生きている、なんて贅沢なことだろう。 比べることはきぶんに沿わないけれど、よのなかには、 他人のために生きているひともいるのだ。 ひとではなく、物であったり、概念・信念、夢だとか、 罪のために生きているひとたちもいる。 おなじ理由で死んでいくひとたちがいる。 いっぽう、わたしは、わたしのためだけに生きている。 あぜんとしてしまうな。 贅沢がとびらをたたいて、わたしはむやみに受け入れた。 それ以来、ずっといっしょにいる。 おなじ理由はさいごまでつづきそうである。 *︎ あっつうい! これもあたらしい発見、わたしには夏がやさしいらしい。 通勤には風がありますので、 わたしは冬衣をいまだに着こんで部屋を出ます。 あついです。 仕事がはじまるまでにぐあいをわるくしてしまいそうなくらい。 できるだけ早く(というか現実における最速にて)、 風のなかにとびだします。 風はきもちいい。みどり色のサイドからは、 産まれたばかりの影の子どもたちが、追いつ追われつ、 あふれだす。 だれもいないとなおいい。 だいたいいないから、やっぱりとてもいい。 しかあし! あっつういですわ。 空に太陽があるのだもの。 とうぜんですか。 無がむかう日もあれば、歌なんて口ずさむ日もある。 今日は、「無です」、なんて身体は言っていたけれど、 こころはちらちらと目を覚まして、光を見ていた。 風を、影を、信号機のかさのゆがみを、 わたしがとおらない道の立看板を見ていた。 世界中が工事中。 だけどわたしのゆく道は、がたがたではあるけれど、 だれも整備についていない。 つかのまの自由が叫んで、道路のまうえをゆらりゆらりと、 揺らすのでした。 *︎ 報酬という考えかたは、あまりよくない気がしている。 条件は設定もできれば、廃棄もできてしまう。 あきらめるからやらない、なんてかんがえたりしないように、 わたしは行為と行為を独立させておくことにした。 明日であるから、ではなく、行為があるのが、明日であるだけだ。 こんなふうに。 ちいさな声で打ち明けます。 ほんとはそんなに割りきれやしなくて、 しらないふりをしているだけです。ほんとうは、明日でなければ、 わたしはセブンイレブンの栗饅頭を食べられない。 白いあんこのやつです。楽しみにしている。 だけど、明日は素知らぬ顔して、ふんふん、わけな

*こころがたどりついた場所

ひとは変わる、とても不真面目な言い方なのだけれど、 感覚はこのとおりだろう。 怖かったことが気にならなくなったり、 見えなかったものがいまは見えて、気に入ったり、 やっぱり怖くおもえたりもする。 さいきん、外にいるからだろうか。 なんどか、見知った顔とすれちがったからだろうか。 幼いころの、どころか、 一年前のわたしが聞いても信じられないだろうけれど、いま、 わたしは将来のことを考えている。 子どもといういのちの責任などとうてい負えないとおもっていた。 自分のいのちでさえもてあましているし、 こころから愛している友だちとさえ付き合えないわたしが、 だれかと一緒になり、子どもを授かり、生活をしていく、 なんて想像したこともなかった。 わたしは両親をふかく尊敬している。 わたしではないひとからみても、 ふたりはじゅうぶんにすばらしい両親だ、ときっと言うと思う。 そんな両親でさえ、このような子ども(わたし) しか育てられなかったのだ。人間は、 にんじんの栽培よりもむずかしいらしい。 (むじゅんだが、 わたしの原因はそれでもわたしにしかないと確信している) わたし以上の結果を、わたしにはのぞめない。 人間のいのちの責任を、わたしはおえそうにない。 そうおもっていたのだが、ふいに、 やすらかなきぶんがやってきて、わたしはすこしまえから、 将来のことを考えている。 ひつようなものはない。 ふたりがなかよく暮らせたらそれでいい。 わたしは、勲章どころか、注意書がつく人間だが、 手前味噌ながら、やさしさが生まれながらにそなわっている。 みんなの基準くらいにがんばることはできないが、 不真面目には一瞬だってなれない。 できることをいちいちしていく。 あんがい、対極ではなく、 わたしにすこし似ているひとかもしれない。 ちいさな部屋で、ふたりが暮らす。 ふたりとも働く。 といっても、わたしはじゅうぶんには働けないだろう。 申し訳ないなとおもう、それはやっぱり思いますよ。 ご飯だけはちゃんと食べる。 ふたりとも食べる。 生活をしていく。 もしもふたりが望み、叶うことがあれば、子どもをもつことも、 なんにもおかしいことじゃない気がする。 その子には、どんなものも満足に与えてやれないだろう。知識も、 希望も、あるだけぜんぶ与えるが、足りることはないだろう。 とおくに

**チュウチュウ!

好き、はどこに落ちているのだろう。 みあたらない。 こわいはわかるのだが、好きがわからない。 より正確に言えば、みんな好きな気がして、 好きじゃない以外であれば、おしなべて若緑色に見える。 *︎ 制服のわたしに、おはようを言うひと。 制服のわたしを、みないひと。 私服のわたしに、おはようと言うひと。 私服のわたしを、みないひと。 私服のわたしはきれいで、 制服のわたしはきたなくて、 私服のわたしはたにんで、 制服のわたしはおなじ巣のなかま。 にょじつな目線のなかで、 わたしはかんたんに声を切り替えられず、 あいまいに微笑んでばかりいる。 ねずみの巣にくらしているわたしたちは、 チュウチュウ鳴いちゃう。 なかまがいてうれしくて、もぐらに軽蔑されてかなしくて。 チュウチュウ。 制服のあなたに、おはようを言うわたし。 もっとおおきなこえで! 私服のあなたに、おはようと言うわたし。 もっとえがおで! チュウチュウ鳴きが呼んでいる。 わたしははっきりとしたかんがえもなく駆けつけて、 おなじように駆けつけてきたあなたに、言う、おつかれさまです。 * 6/10

*世界はじつにシステム

ゾンビシステムを信頼します。 * 気がついたのは、ほんのつい最近のこと。 どうやら、わたしはすくわれていたらしい。 とてもおだやかなきぶんなのだ。 うまくことばにできないのだけれど、すっかりあんしんできた、 とでも言えばよいだろうか。 やりとげた気がする。できることを精いっぱい。 そして、さいわいなことに、すばらしい結果を残せた、 そんな気がするのだ。 きぶん、って、だいじなのだなあ。 そんなこともわたしはしらなかった。 わたしが守りたかったものはなんだったのだろう。 壊れてしまうことが怖かった。 なんども経験があるだけに、怖くて仕方がなかった。 わたしの枠がこわれ、すり替わるあたらしいわたしが、 わたし以外の現実には適していて、誠実で、ありふれていて、 見た目も、手触りもよいものだとしっている。 過去にわたしを生きたそれらは、学校へ通い、家庭で話をし、 働き、友人と映画を観ることができた。 いまふりかえっても、そんな自分は魅力的だ。 ただしいわたしを羨ましがっておきながら、いやだ、 わたしを乗っ取らないで、いまのわたしを壊してしまわないで、 とおびえている。 ほんとうの唯一のうまれもったわたし、 という幻想をもたないだけに、 わたしとわたしの主導権あらそいは残酷だ。 わたし。 このわたし。 目と耳がよわいわたし。ほかぜんぶ、やっぱりよわいわたし。 もういないのだなあ。 よわいわたしはことばをもたない。ほかぜんぶ、所有しない。 いまのわたしは話しているし、この肉体や、環境や、 意識を所有している。 すり替わったあたらしいわたしが、いまここにいる。 あんなにおそれていた崩壊は、 どちらのわたしにも知らされないまま、はじまり、おわったのだ。 信仰も、支持も、わたしはもっていない。 たにんの定めた主義にもすがれないわたしは、だれに、 このかなしみを伝えればよいのだろう。 ふたりのわたしがふるえている。 分断されてもなお、わたしたちはひとつのいのちを生きている。 考えもしなかったものを捨てながら、わたしのようなものは、 このようなことを考えていた。 すくわれたのがどちらのわたしであるのかはわかっている。 残酷だ。 しかし、だからわたしだったのだ。 わたしはなにも所有したくなかった。そしてそれは、叶えられた。 * 覚悟していないことからはじめ、ふた

**すっかりなじんだ

ことばである時点で、こころではない。 そのうえ飾り、組合せていたら、 いったいぜんたいわけがわからないったらありゃしない。 こうして完璧をこわして、すこし苦しくおもって、 わたしはおかしくまんぞくする。 * くりかえしてきた、真空になりたい、ということば。 わたしにもしも、しんじつあるとすれば、 あのきもちがそうだろう。 記述せよ。 / したい。 * すてきなものに出会うのはこわい。 すてきだってわかっているからほしくない。 だけどすっぱりあきらめてしまえないくらい、すてき。 たいせつに、たいせつに、しまっておいた本をよむ。 それは、わかっていた以上に、 わかっていなかった百万倍もすてきな物語だった。 所有がひとつ減った。 それは、わたしになった。 * 答みたいな友だちに、昨日ことばを送った。 わたしの答はこっちだよ。 あなたがどんなに自分を突き放しても、どんなに許さなくても、 それがあなただから。 だから、あなたが好きです。 あなたはすばらしいよ。あなたであるだけでね。 * じゅんちょうに、いれかわったわたしがくらしている。 わたしはどんどん消えてゆく。 それとももういないのか。 まいにち、じもんする。 うわつく身体だけは、すっかりげんじつになじんだ。

***宇高

なにやら、やるべきことが多すぎて、ばたばたとしていたが、 ひと段落つきそうだ。 とくべつなことを考えるのは、にがてだ。 これからは、たんじゅんなことだけをかんがえ、行なっていく。 * 砂つぶを手のひらにのせているみたいだ。 それをながめているみたいだ。 わかっていてもよさそうだが、わからなかった。 ふたりのわたしのあいだには、連絡船がない。 わたしがいない。 いなくなってしまった。 * それでも、くりかえす、なんどでも、たちむかう。 記述せよ。 そして、知れ。 * are you there? are you there? * 6/12

*星が燃えている

星が燃えているのを、ひと月ほど前だったか、見た。 わたしの好きな夜の散歩(ほかは、珈琲と伊藤計劃としている) のとちゅう、東の夜空に、炎のかたまりが流れていた。 赤い尾はきみょうに直線なのに対し、 落下する星は輪郭に炎を波打たせる。 大きかった。落ちたら、この星が死んでしまうくらいに。 まぶしかった。その夜空の一画を解き明かしてしまうくらいに、 まぶしかった。 いっしゅんのことだった。 気がつくと、わたしは街路に視線をもどしており、 いま見たもののことも、 なぜ自分がその瞬間だけ夜空を見上げていたのかもわからなかった 。 数歩歩いてから、はっとして、顔をあげた。 ひかりは、もうどこにもなかった。 あれは、わたしのげんじつだった、といまになって思う。 なにを見たにしても、見ていないにしても、 わたしが知ったものすべてを、それだけをゆいいつの、 げんじつとよべるのだ。 きれいだった。 鮮烈なだいだい色は、記憶のよわいわたしのなかで、 まだ燃えている。 星は死につづけている。 * 生きているひとがえらい。 ほかに代えのない価値観を、わたしは信じつづけたい。 * 明日から、また歩きだす。 * 6/14

*冷灰/ユニコーン

冷灰のうえを歩くユニコーンがふりかえる。 その目にわたしはうつらない。 わたしにも、ユニコーンにまたがる少女は、見えていない。 こわいというきもちだけが真実ならば、 もう宇宙は解き明かされてしまったということになる。 / だれかが気がつく、太陽はひとつじゃない、 ものがたりとキスを交わす。 だれかが落ちた、 このものがたりにおいて動物に危害は加えられます、 虚構の塔がうつくしく息を吐く。 大声で叫ぶだとか、 失神するほど泣くだとか、 うで、ちぎれるほど、結びあうだとか、 そういうことがなくても、 あっても、 時間は非実存だ。 わたしだけがあつかえる、まさに、わたし自身とおなじ。 領域は内側にある。 外側はない。 腸結世界にあとすこしで、夜がおりる。まだすこしで、 月は破裂する。いますこしで、ひとがひとを抱き込む。 * ふうりんのことを考えていた。 もののことはあまり考えてないほうだから、もののうちでは、 ふうりんのことばかり考えていたと言っていい。 いいなと思う。 音がいい。 透明さもいい。 小さいことも、なかなかいい。 あれをさげて歩いたら、わたしも夏風案内人。 それはしないが、窓辺にさげたら、どうだろう。 チリンチリンとときどき鳴るか、もしくは、ただひかるか。 風もひかりもない日や夜は、ふうりんはどうしているのだろう。 ものには、時間がない。 明日がくることも、空が晴れることも、ふうりんはしらない。 * 6/16

*根・茎・葉

根・茎・葉でいえば わたしは根・茎・葉だ ぜんたいだけがわたしである * たいせつなものがないみたいで困っちゃうな。 どれが、どれよりもたいせつなのか、うまくわからない。 ぜんぶ、たいせつじゃないような気がして、もしもそうならば、 わたしにはたいせつなものがひとつもないのならば、 わたし自身もたいせつではないような気がする。 わたしがどこにも存在していなかった、 そんな気がしておどろいてしまう。 残すものと、捨てるもの、根本はおなじだ。 結果だけがふたつをより分ける。 * 曇天にふく風がすきだ。 ふだんはまぶしくて見えない、木々の葉いちまいいちまいが、 くすぐりあうみたいにゆれている。 わたしは風景を眺めて、ときどき、知る。 もうすこしの日々のあと、この街も、雨になるだろう。 わたしは雨をすきだろうか。すきだっただろうか。 それを知りたいとおもう。

**とちゅうと

わたしがこわれる音がきこえない * あたらしいわたしとそのそんざいの適合は、まだとちゅうらしい。 枠組がやけにするどく拡がりながら、いっぽうで、ふわりふわり、 とただよい、まちがえたものと溶解する。 やらなければならないことが、たくさんある気がする。 それはきぶんにはりをもたせる。 時間はだれにもない。 さかのぼることを、まだ、人間は知覚できない。 だからみな、ひとしく、前に前に、歩くしかない。 * めかくしをする。 わたしにこっそり、ほんをよみたい。

***こんこん(多様な具象)

肉体は他人だ。わたしのきぶんが制御できるものではない。 制御してはならない。 わたしのげんじつとは、わたしの肉体や他人、外界といった、 わたし(としたいもの)とわたし以外が存在することで成り立つ。 それらが相対的に時間をまとめる。 げんじつを保つためには、各存在が不可欠だ。 無に、一は似ている。人間の感覚はよくそれらを混同し、 一を認識できない。ふたつなければ、ひとつは無いも同然になる。 考える身体は眠らないが、すぎると、 こんどは目覚められなくなる。 わたしの脳が自衛をはじめた。日がな一日、とても眠い。 こんこん眠って、おきて、本を読む。 自由時間に誠実でいたい。 * めいそう! にがてだけれど、なんとなくすきだ。 といっても、めいそうはできない。あれはとても難しい。 わたしは光を引いた、まぶたを下ろす。六十秒を五回数える。 呼吸はすきにしていい。 そうすると、大体は浅く、少なくなる。 ときどき深く吸って、吐いて、またすきに任せる。 これがわたしのめいそう、真昼におこなう。 数日前、夜、ひたいに手のひらをあてて、 照明が天井に拡げる光の波紋をゆらした。泣きたいとおもった。 わたしはわたしを求めていた。 今日は、すうじを数えられなかった。 しずかな混乱のなか、わたしは雨の音だけを聞く。

****ナギ平原/都会の詩集

おねがい、おねがい、おねがい めのまえにあるのに、わたしにはわからない ばらばら、と、ことばはこぼれ落ちていく ことばにもなれないままで 形にもなれないままで わたしのまめのまえで わたしがこわしてしまう おねがい あとすこしだけ、あとこれだけ、本が読みたいの 見えて おねがい * おもえば、あの夢を見た日から、わたしはおちつけた気がする。 変わったのだ。 側面、四面がない車両が、コンテナみたいに、 ヘリコプターから吊るされている。 車両は、海沿いに向かう汽車の一両で、ボックス席ではなく、 窓にそう、二列の座席がある型だ。 プレームは銀色。 メタリック。 わたしは原っぱにいる。ナギ平原に似ているが、もっと葉は青く、 ひざ丈まで背があり、強い風によれている。 風の一部は、ヘリからのものだ。 車両を吊りさげたヘリは、むこうからこちらへ、向かってくる。 高度は低い。車両が重いのかもしれないし、 着陸させるつもりなのかもしれない、わからない。 わたしは、ヘリと車両は通過するだろうとおもった。そして、 高度の低さのために、通過するそのとき、 車両にあるわずかな縁に、原っぱから見あげるわたしは、頭から、 ぶつかるだろう、そうおもった。 車両には、表情のないひとびとが、ぽつりぽつりと座っている。 三人ほどだった。みな、ひざに手を乗せ、背すじは伸びている。 互いに向かい合わないように、すこしずつずれて、 席についていた。 風は、車両とその中のひとびとには、あたっていない。 ヘリが近づくにつれて、原っぱは荒れくるう。 風は下へ下へと吹きつけているのだ。 波紋のようにつぎつぎと青葉が倒れては起き、 倒れては起きあがった。 わたしも、風に吹かれていたように思う。 わたしは、汽車に乗りたかった。 それをずっと望んでいたとおもった。 ここで待っていたのだともおもった。 わたしの周りには、やはりぽつりぽつりとひとびとがいる。 みな同じように棒立ちをし、ヘリと車両を見あげている。 かれらにも表情はないのだが、 車両のひとびとのそれとは大きな隔たりがあり、 おなじ無とはいえない。 わたしたちはまだ、ちがうのだ。 わたしは悲しくおもった。 あの汽車に乗りたかったのに、 あれはわたしのことなど気にもとめず、知りもせず、通過し、 わたしの頭を潰していくのだ 車両は、吊りさげている

*見える

空が青い、すさまじく。 夏物の服を見つめながら、信じられない気持がしてくる。 ほんとうに夏がくるのだ。もうすこしで、すこしのあいだ。 わたしはまだ冬の服を着ている。 夏がきたら、そのときは、夏の服を着るのだろうか。 * 雨が降りはじめた。 日和のものではなさそうだ。 電線を、あめのしずくがひた走る。 あとからあとから、つぎのしずくがつづく。 グラウンドにはカラスが降り立つ。 溜まりを見つけては、歓びに、のたうちまわるように、 水浴びをする。 すずめも、すこし離れた場所で、なにかをついばんでいる。 わたしにはわからないが、雨のグラウンドには、 かれらの好きなものが、地中より浸み出してくるらしい。 わたしは雨音を気にいる。 透明な無数の指がけんばんを弾くように、水面へ、 波紋はうまれつづけた。 わたしは聞こえない音も気にいった。 いつまでも、そこにいたいとおもった。 * アメリカのいちばんあかるいところは、 地下鉄の階段下から見あげる出口。 * 蛙は蛙を呼んでいるように見える。 * わたしたちは、こなごなのうち、ごなのほうに含まれる希望を、 ものもいわずに集めている。 6/20

*グルテンフリー

いちど照明をつけてしまうと、消しても、暗がりは目に見えない。 帰宅した、夕暮れ時の部屋がすきだ。 わずかに開いたカーテンからは淡白な光彩がもれ、部屋自体は、 眠るようにおとなしい。 わたしとの接点はひとつもない。 部屋は独自の存在をしていている。 わたしはひととき、部屋に出会う。 わたしではないものは、まちがいではなくおもえる。 それはあんしんをともなう。 いや、あんしんが、わたしをともなうのかもしれない。 * すこし遅いけれど、父の日に、クッキーを買った。 両親とわたしに二枚ずつ、すえの弟には一枚、選んだ。 母のこさえてくれる夕飯のあと、 コーヒーといっしょに食べるつもりだ。 ふだんはクッキーなど買わないし、どころか、 クッキーを食べる習慣すらない。 選んだうち、ぐるぐる渦巻く黄緑色のクッキーがある、 あれはなんの味がするのだろうか。 メロンかしら。 すこしふあんで、すこしたのしみ。 おいしいといいのだけれど。 * 6/22

*なぜ、外に出してしまったの/心象風景

南風しかふかない街に、南向きの、窓がない家が建っていました。 かなしみは、その街をさけて、各街に、おとずれました。 さようなら、さようなら こだまします。 さようなら、わたし さようなら、こころ 窓のない家の中で、あたたかく、しめった声が、吹き溜まります。 さようなら、かなしみ さようなら、みなさん 今朝がたうまれた前線は、あなたがあなたの街、 あなたのお部屋で、うんだものです。 なぜ、外に出してしまったの。 * 生温かい風が目にしみる。 遠く、近い海上で、台風がうまれたのだ。 通告はこのようにして、はやばやと、うみべの街にとどけられる。 ふあんととまどいが満ちた夜が明け、今日という日は、 電線にとまる二羽の鴉の口づけではじまった。 個体が大きいためだろう。 ヤマガラやスズメにはない友愛が、 黒い翼の根元から先端までを光らせ、事実の証明を試みる。 あるいは、未来の証明か。 嵐の日、かれらはどこにいるのだろう。 * 気がつくと、わたしたちは互いに傷を負っていた。 わたしは左大腿と右腕に、コテを貫通させたような、 真四角の穴を抱いていた。 痛みはなかった。傷の形や、そこからかんじられる正しさ、 断片にのぞく、ピンク色の組織と、白い脂肪が、 あまりにはっきりと見えすぎて、こわくおもえた。 四角い弾丸は、あたりじゅうに乱射されていた。 わたしにしても、この身体のほかのどこに傷を負っていても、 おかしくなかった。痛みがないのだ、 気がついていないということもじゅうぶんにありえる。 空間は絶望していた。 逃げ場もなければ、助かる見込みもなかった。 だが、わたしたちは、未来のことよりも、目のまえよ傷にばかり、 気をむける。 おかしなほど生真面目に、けんめいに、 この傷の手当てを探しあう。 そののち、音がして、わたしはあたらしい傷を見つけた。 みじかい痛みをゆっくり、ゆっくりと追いかけて、 わたしはその傷の形をみとめた。 * 蛇腹折りされていた心象風景をひらく。 数秒間、おまけのように、音が鳴る。 鍵盤があったらな。 わたしたち、うまく話せただろうな。 いちど生まれた折り目はにどとなくならず、風景は、 そうではないのに立体に見えた。 胸があったらな。 あなた、おおきな楽器と呼ばれただろうな。 * 前向きな論理が嫌われていた。 わたしは

*べろ

わたしたちは、完璧な記憶を持っている。 完璧ではない記憶など存在しない。 わたしたちは、記憶の展開にぶきように生まれついた。 展開の条件は解明されないことにある。 生きのびるごとに、その手技はおとろえ、 まちがいにも慣れきった。 記憶だとおもって、まったくべつの抽斗を、 開けたり閉めたりしている。 かなしみではない。 むかしから、機能の欠落として、 記憶のことを気にしていたのだが、いまは、もう気にならない。 なにひとつ失わない。 そういうことにして、 今日は早めにカーテンをひいた。 記憶は、すくなくとも、暗いところが落ち着くだろうから。 * 膝から崩れおちる。 あわてて、掴まる。 どこに。 わたしが追いついたのか、なにかがわたしに追いついたのか、 わからない。 ひとつの時に、わたしとなにかが統合を迎え、膝が折れ、 胸がゆれる。 落ち込むには、地面は固いままで、 わたしは肉体のかぎりにぺしゃんこになるが、 感覚はわたしを置き去りにして、沈み込む。 置いてけぼりだ。 わたしも、なにかも。 わたしとなにかは、震え、どうしようもなく震え、だがやはり、 どうしようもないのだ。 心臓だけがただしく悲鳴をあげられる。 立ち上がるとき、本棚のべろに掴まった。 そこには、女のひとが恋する本と、女の子がひとを殺す本が、 並んでいた。 すばらしい世界だろうか、ここは。 すばらしい世界だろう、ここさえ。 まだ、わたしは震えている。 とうぜんだ、とおもうと、きぶんは安らかになった。 なにかに、わたしは名前をつけない。 心臓だけがいまだ高鳴っている。

**桜の花びら/夏のプロパガンダ

むかしは、生活の音がきらいだった。 生活がなにかもわかっていなかったし、 わかってやしないのだけれど、すくなくともいまは、 わたしなりに触れられる生活の輪郭があって、 そこからもれでる音に、きぶんは傷つかない。 真夜中の洗濯機が回っている。 ちいさな窓からは、とおい通り沿いの家の、ちいさな窓が、 だいだいに光ってみえる。 煙草とペンキの匂いは、かきねを梳く。 あさは、咳をするひとがいる。 車椅子の回転はゆるやかにつづく。 先週と先々週末、歌っていたとはちがう歌を、 あの子は練習している。 歌手になるのかな。 下手だなって、しょうじきおもってたんだけれど、 聴き慣れたのだな、いまはすきだよ。 しらない歌。 本をひらく。 頁をめくる。 しおりは挟まない。 忘れちゃいけないよって、おもいたいから。 このごろ、他人のことばばかりが、頭のなかであったかくなる。 わたしはなにかを言いたかったり、伝えたかったり、 しないのかもしれない。 自覚はなかったけれど、事実がそうなのかもしれない。 ただ、名残り惜しくて、話すふりをしたりして、 できることは精いっぱいやったんだとおもいたくて、 歌を歌うみたいに、言葉を選んでいる。 しぜんに。 引用がわたしを作ったのならば、どんなに、 しあわせなことだろう。 こんな、夢みたいな、わたしのいないわたしは、一過性のうちの、 ほんの一面だ。 多角形のわたしはたえず、転回する。 この夢が覚めたら、また、あたらしいわたしだ。 * どうしても泣きたい、そうおもって、ぎゅうぎゅう、枠をにぎる。 涙を待っている。 * まひる、灰色のネコが、昨日までそうではなかった耳を、 桜の花びらにして、ゆらしていた。 しあわせかい。 きみや、きみたちは、しあわせなのかい。 ふしあわせのない世界でも、きみはしあわせになれたのか。 夏のプロパガンダをもろともせず、 あるいは、 かんたんに受け容れて、 ネコたちは、水をさがしにいく。

***鳥の匂いがする

がたがた、ひざが震える日は、いっぽいっぽ、地、ふみしめる。 いち、に、さん、数えられない日は、なにも数えない。 しらないあいだにおどずれる、つぎのいっしゅん、いっしゅん、 を過ごす。 できることはかぎられている。 わたしは万能じゃない。 よくもない。 けれど、わるいって仕分は、だいきらいだ。 わたし以外のものが、わたしに教えること。 わたしが、わたしに教えること。 ひとつひとつを、あつめて、 数えなくていい、あつめて、 いっぽいっぽ、 こぼしながらでもいい、あるいて、 遠くへ向かわなくていい。 その美しい風景は、知らないままでいい。 あたらしいことはいらない。 いらないって言っても、あるだろう。 だが、いらないよ。 さあ、 それだけをねがって、 さあ、 おうちへ、かえろう。 * 灯りを細くして、午前零時をむかえる。 部屋は、あったかい色に包まれる。 肉体の枠組が、繊細に、わたしを形造る。 それを、灯りは、ぼやぼや、溶かていく。 猛禽類のペットはいない。 いたら、わたしはねずみを捌かなきゃならない。 いないから、捌かなくていい。 aは手に入らなかったが、bは叶った。 bの犠牲は無駄になったが、cにおいては間違いがなかった。 言い訳みたいに、ふたつの条件とふたつの結果を、つぎあわせて、 よかった、わるかった、結論する。 ことばは、繰り返すが、ことばはわたしたちではない。 わたしたちはけっしてことばではない。 人生を包括することばはどこにもない。 それは希望だと言えないだろうか。 * 鳥の匂いがする。 わたしは、森の巣に眠るとりを、いちども見たことがない。 もしかすると、鳥にはもうひとつの世界があるのかもしれない。 わたしたちが、ぼやぼや溶ける夜をすごすあいだ、 白や黄色のひかりがあふれるその世界で、 鳥たちは過ごしているのかもしれない。 もうひとつの世界には、空がなく、 見渡すかぎりの花野だけがある。 わたしたちの夜、鳥たちは花野へあつまり、囀る。 飛ぶことはしない。 もうひとつの世界では、鳥には翼はないのだ。 だから、鳥は夜をしらない。 わたしたちは遅れている。なにかから、ずっと、遅れている。 この夢がさめたら、あの花野にはにどと行けない。 それを希望と言うには、わたしは弱すぎる。 * たっぷり、たっぷり、眠ろう。

*抽象にはえた脚をなんとよぶ

  抽象にはえた脚をなんとよぶ。 * 人々がいる みな歩いている わたしは服を着ていない かろうじて、嘘を飲み込む 融合がパズルならば なぜ ぬらぬらしている 端まで辿り着いたものの そのさきがない そのさきに進むコードがないのだ 崖なのに 経験を経験することが可能だという 経験を経験することのみが可能だという 見えないから、と ならばなぜ 意識はあるのだ あるいは ないのだ 中心的な場所にいる 同一性と同時性をいちどに呼ぶ 名はかれらにはいまだ無いから 手で、わたしは時間を呼んだ (追い払う仕草に見えていたのかもしれない) * ほしい答があるとなぜ言える。 あるとわかっているからだ。 * ちょうどいい物陰をみつけた歩兵は、 ポーズ画面の中でうずくまったままだ。

**かにかま/夏

救命ボート 空が今日、青かったのかどうか、わかりません。 わたしは見あげなかったから。 もしも、今日の空が、棚からさがる、宝石みたいな葡萄のひと粒、 そんな色をしていたのなら、 ざんねんだなあ、見逃しちゃったよ。 わたしは、なにを見ているだろう。 なにを知れているだろう。 ぜんぶ見たくて、ぜんぶ知りたい。 ほらね。 / うん。 ことばは、ときどき、先行する。 わたしは、あとを追い、同期する。 * 右耳が、ことりのあたらしい巣に近いらしい。 あの子の音が、よく聞こえる。 ほかのものは聞こえないし、見えない。 * aテーブルにて、かにかまがまっています。 あれは、およげないのだ。 * 晴天がつづいている。 ひとときでも、抜ける空が見上げられたならば、わたしは、 夏だなあ、とおもうだろう。 * 6/26

*圧殺

もしも、こんばん帰ることができないとわかっていても、 わたしは、 「いってきます」も言わずに、家を出るだろう。 窓は内向きにあけたまま、飲みかけの水も、グラスにそのままに、 仕事へ向かうだろう。 末のおとうとは、わたしが出掛けたことを、 わたしが帰宅するまで知らないだろう。 別れは、わたしたちのあいだには割り込めない。 両親のことを、「あいしている」とは、 いつもどおりおもいながら、わたしは、 もしも、こんばん帰ることができたとしても、 「ただいま」も言わずに、家に入っただろう。 重ねていくもしもを現実にして、わたしはあしたも目覚め、 きょうも眠り、きのうも生きて、死んでいく。 あいまいな境界のことを知れば、ここも、あのときも、「もしも」 のすべてが、 わたしの家で、わたしは帰り着くことができるかもしれない。 * うかうかとしていると、まるで、苦悩があるかのように、 心理が方針を変える。 夜も朝もあたまを重たくして、両目をひとしくぎょろつかせる。 問題と、たいする解決策をさがさねばならない、やっきになる。 まちがいだ。 わたしには悩みはない。解決のある問題はない。 どうにも、働きかけつづけなければならないらしい。 はじまった転換は過剰な力動による。 つぶされないためには、力にしたがい、力をもち、 もちいることだ。 わたしはわたしに働きかけなければならない。 ほかに、力の向けるさきはないうえに、 あたらしいわたしからもたらされる圧殺は、 わたしの望んでいるものではないのだ。 真空とはおおよそちがう。

**雨と奥底

ことばが先行している感覚がある。 やはり、過剰なのだ。 わたしはなすすべもなく、ことばらしいものになっていく。 あたらしいわたしが軋んでいる。 二重三重の改稿が、なんらかを阻み、同時に、生み出していく。 傍観者でいられることを手放してはならない、と、 水の中でつぶやく。 わたしの奥底にだけ聴こえればよい。 奥底に辿り着くためには、反響をあきらめることだ。 * 梅を漬けた。35度のホワイトリカーは、 いっぽんまるごと瓶に注いだ。 梅酒づくりにたずさわったのは、初めてで、梅は、 桃によく似た肌触りで、匂いもほどよく甘かった。 おへそをぷつぷつ弾き飛ばして、 凝縮にそなえて表面に穴を数個あける。 氷砂糖をみると、なぜか、わくわくした。 この世でいちばん甘いくうかんを閉じこめる。 よいぐあいになるには、どれほどの時間がかかるのか、 わたしは知らない。 * そこがぬけそうな雨がはじまった。 わたしは雨が好きだ。 * 雨は、雨のことを知っているだろうか。 雨であることは知っているだろうか。 * 6/30