**世界中が工事中

わたしのために生きている、なんて贅沢なことだろう。

比べることはきぶんに沿わないけれど、よのなかには、他人のために生きているひともいるのだ。
ひとではなく、物であったり、概念・信念、夢だとか、罪のために生きているひとたちもいる。
おなじ理由で死んでいくひとたちがいる。

いっぽう、わたしは、わたしのためだけに生きている。
あぜんとしてしまうな。
贅沢がとびらをたたいて、わたしはむやみに受け入れた。それ以来、ずっといっしょにいる。
おなじ理由はさいごまでつづきそうである。

*︎

あっつうい!
これもあたらしい発見、わたしには夏がやさしいらしい。
通勤には風がありますので、わたしは冬衣をいまだに着こんで部屋を出ます。
あついです。仕事がはじまるまでにぐあいをわるくしてしまいそうなくらい。
できるだけ早く(というか現実における最速にて)、風のなかにとびだします。
風はきもちいい。みどり色のサイドからは、産まれたばかりの影の子どもたちが、追いつ追われつ、あふれだす。
だれもいないとなおいい。
だいたいいないから、やっぱりとてもいい。

しかあし!
あっつういですわ。
空に太陽があるのだもの。
とうぜんですか。


無がむかう日もあれば、歌なんて口ずさむ日もある。
今日は、「無です」、なんて身体は言っていたけれど、こころはちらちらと目を覚まして、光を見ていた。
風を、影を、信号機のかさのゆがみを、わたしがとおらない道の立看板を見ていた。

世界中が工事中。
だけどわたしのゆく道は、がたがたではあるけれど、だれも整備についていない。

つかのまの自由が叫んで、道路のまうえをゆらりゆらりと、揺らすのでした。

*︎

報酬という考えかたは、あまりよくない気がしている。
条件は設定もできれば、廃棄もできてしまう。
あきらめるからやらない、なんてかんがえたりしないように、わたしは行為と行為を独立させておくことにした。
明日であるから、ではなく、行為があるのが、明日であるだけだ。こんなふうに。

ちいさな声で打ち明けます。
ほんとはそんなに割りきれやしなくて、しらないふりをしているだけです。ほんとうは、明日でなければ、わたしはセブンイレブンの栗饅頭を食べられない。
白いあんこのやつです。楽しみにしている。
だけど、明日は素知らぬ顔して、ふんふん、わけなんかないさ、これはご褒美なんかじゃないよ、行為を神聖化するなんておばかさんね、なんてかんがえながら、すっかり機嫌よく、風のなかにとびだすのです。

あすは晴れだといいな。

*︎

夕刻、西の窓からひかりが射し、洗濯ばさみを透明にひからせていた。
きれいだった。

机のうえにあるものが、角砂糖をいれた硝子瓶だとは答えられるが、では、角砂糖はいつく入っているか、これには答えられない。
ひとは、見ているものを知っているわけではない。見えている答をわたしがしるには、わたしのこころがいるのだ。

知りたい。
いままで見すごしてきた真実を、わたしのうち、わたしだと言い張る領域にも、教えてやりたい。

それとも、しらなくてもいいのだろうか。
わたしはそれをしっているのだから。

はじめから、おわりまで、わたしはすべてをしっている。

*︎

ありがとうを言うことにした。
ちょっとはずかしいけれど、もうなんど行くかはわからないのだし、言いたいきぶんになったから、言うことにする。

いらっしゃいませ。

ありがとう。

ありがとうございました。

きっと、言おう。

6/8

コメント

このブログの人気の投稿

4月

*見える

5170