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5月, 2020の投稿を表示しています

無日3

遺構   0*4 夏茜というそうだ、なつあかね。 鉄筋コンクリートの森の、どこで、かれらはうまれたのだろう。 わたしの知らない小川があって、そこでは、せせらぎが、時が、 いのちが生まれつづけているのだろうか。 しにつづけているのだろうか。  1*4 稲に穂がついている。夏だ。 梅雨の晴れ間にしては、じめじめ、蒸せた一日が終る。枝を、 重くしならせた枇杷の木のなかに隠れて、 明日の朝を待ちたい気がした。 2*4 今年初めて、蝉の抜け殻が網戸の真ん中に残されていた。探すと、 這い出てきた穴は、楓のそばにあったが、手入れはしていない、 荒れた地面だ。こんなところで待っていたのか、 こんなところから這い出てきたのか、ほんとうなのか。 訊いてみたいが、羽根のある生き物になったのだ、もういない。 3*4 問いかけるだけのコンテンツになって、日々は、それだのに、 えいえんに似せた表情を隠したがる。 扇風機が回っていた。だれかがはじめに回そうと思ったのだ。 だれかに似ただれかが。 4*4 文学館の入口に、鳩の、羽根がひとつ、落ちていた。 羽毛ではなく、根元の肉が、欠片だが、ついている灰色の羽根。 それでも鳩は落ちていなかった。生きて、飛んでいるのだろう。 5*4 焼き鳥の匂いがした。夕暮が時間となって現れた。 小焼けのほうの夕焼けを追う。列車とバスと、 そのまえにはうちから自転車、うちのなかでは階段、 ベッドからはわき腹で転げて起き出して、 二三個となりの街の建物へやってきて、見ているのは夕暮だ。   1の下に8 その隣に9

無日2

ことばの世界へつづくプロダクトキーもまた、ことばでできている ことばの取り扱いに長けているひとびとがいて、かれらは、 声の使い方も、こころえている。 分類のなかで、ことばはささやかれる。 ときどき、ことばは声になり、声は波になり(大波……小波……) 、 分類のそとまで跡をのこす。 社会という枠組があるとして、枠内大小の分類は、 相互を認知している。 依存し、支え、傷つけ合いながら、社会の細胞として生きている。 細胞群のあいだ、《どろどろとした無言》の領域に、 わたしたちはいる。 (そこには内側がない、よって外側もない。社会は、べろり、 枠組を反転させても、また社会があるだけだ) * 名前のないわたしたちは、共通言語をもっていない。 「どこにいますか」「だれですか」「わたしですか、 あなたですか」 問えず、 「わたしです、そしてあなたです」「ここにいます」「いや…… わかりません」 答えられない。 * わたしには名前がない。分類のなかにいない。 * 答がほしいわけじゃない。 ただせめて、目をあわせたい。 どこかにいるであろうわたしと、ほんのひととき、いちどきり、 互いを見つけ合えたら……『ここにいる』そう、気づき合えたら、 気が楽になるとおもうのだ。 ひとはそれぞれ生きている。わたしもここで生きている。 あなたはどこで生きていますか。

無日1

  ヘルシーマフィン ことばは信頼するものではなく、存在のために利用する、 よろいであり、身代わり、わたしの場合には、 ヘルシーなマフィンみたいなものだ。 わたしはマフィンを美味しく焼く。ヘルシーなのにあまく、 魅力的に丸みをおび、想像通りの匂いがする、プレーンマフィン。 ひとに、ときどき食べてもらう。 おいしいと言われることも、好みではないと言われることもある。 その感想がわたしのそんざいを構築する。 わたしはわたしではなく、マフィンとして、よのなかに存在する。 どんなにまずいと言われても、 惚れ込みましたとつきまとわれても、わたしはマフィンだから、 痛みも悲しみも、マフィンがかんじ、マフィンが傷み、 マフィンが大事にされる。 * 生きるためにはなにをしてもいい。例外はない。 あなたのいのちのために必要なものは、 必要なだけもちいるべきだ。 そこに法や、倫理や、いまの時点の医学や、世間体や、 あなた自身の迷いなど関与すべきではない。 なにをしてもいい。 だれかよりも、だれかのいのちに価値がないという判断は、 いまあるだけのこと。 いまのすべてが真実だと考えるのはおろかなことだ。 ひと昔まえには個性だったものに、いまはICDコードがつく。 暴力性が、戦争地帯でかぞくをまもる。 これは麻薬だが、場合によっては保険適応できます。 ものをたくさんもっているひとと、 ほとんどもたないひとのどちらがセオリーだろう。 知識として教えられてきたよりも、 げんじつでは個人の判断がたいせつになってくる。 だれも答を知らない。 ただしい道も、解決策もない。 あったら、この星はとっくに滅びているはずだ。 いちばん易しい状態は、なにもないことなのだから。 自分の意志であなたはそんざいしている。 わたしは、お人形でいいよ、とは言ってやれない。 その代わり、あなたをゆるしたい。 あなたがあなたのいのちをまもるために、選ぶすべてを、 許容したいとおもうのだ。 あなたの現実はあなたがすきにすればよい。 だが、あなたのいのちはあなたのものではない。 傷つけることも終わらすことも、あなたには認められない。 生きなさい。 選択肢はない。

0708

70 80 7102 わたしの仕事はみんなの歩いたあとを消すこと 兄は恥ずかしい仕事だといいます なにもいえずうつむくのは母です わたしは恥ずかしいとは思わない けれどさびしい仕事だとは思います ほめられることはありません 邪魔だ、とよく怒られてしまいます 主任は眼のおおきなひとで 怖がりなわたしはうまく眼を見ることができません 主任は怒ってはいないと思います 恥ずかしいと思っていないだけ わたしはあしあとを消しますが あしあとに、消してごめん、とは思いません ただ消して、消えたなと思って、消してごめんとは思わない さびしいのはわたしのほうだ あした、わたしは仕事がおやすみ 今日、 わたしがみんなのあしあとを消すためにつけたたくさんのあしあと を あした、主任が消す   90 80 7102 月の夜にかけだしていくツミルニルマ ひかりの筋を二本引き   11 80 7102 二等辺三角でいう等しくはない一辺がわたしであること   31 80 7102 立ちどまっているわたしにぶつからないで * もっと苦しむべきだった。恐れていたことを経験し、 できないと考えていたことに取り組み、 苦痛を享受すべきであった。 もうじゅうぶん苦しんだ、これで楽になれる。 そんなふうにはとうていおもえない。 * 今日はいい日だった、つぶやくわたしはぼんやりとしている。 疑い方をしらない。   51 80 7102 《ありがとう》 存在の申し訳なさの表出が足りないのだ。 今日はつらかったね、昨日もつらかったからだよ。 わたしの周りに無言地帯ができる。 わたしはときどき汚物で、ときどき犯罪者で、 ときどき見たこともない、たとえばトロールみたいな、 ファンタジィな存在。 ときどき看守がつく。 わたしは働く。 終りました、って言う。 看守はまだおしゃべりにこうじている。 わたしはいなくなる。 看守とほか、九千九百九十八名は、自らの軌道に戻る。 わたしはひとです。 あんまりおもわないけれど、今日はおもった。 わたしは労働者です。 あなたが今日、休日であるように、わたしは今日、 お仕事であるという、それだけのちがいです。 ばこん。 何何られるとは言いたくない。 ばこん。 でもいま、わたしとあなたはぶつかりましたよ。 ごめんなさい! 叫びたかった。 だれにとってもわたしが邪魔になってしまうことを謝りた

5170

51 70 7102 ふさわしいことばがある。「永遠」だ。   71 70 7102 あなたの特徴につける名前はありますか それは括弧におさまりますか あるいは名前のまんなかに・で挟んで表示するべきものですか   91 70 7102 あなたの言葉につける名前はありますか それは言葉でできていますか あるいは温度をもっていますか 生きているのですか   12 70 7102 連絡船が運航をやめて以来わたしとわたしははなればなれです。   32 70 7102 「わたしはこころではなくなった。ようやく。」   52 70 7102 365日やさしいこころでいたい。 だけどそうなれなくて、そうなりたいときには、 パンを買いに行きます。   72 70 7102 パ・イ・ナ・ツ・プ・ル、パ・イ・ナ・ツ・プ・ル   92 70 7102 《話したい》 泣かないでとは言えないから 朝がきたら どうでもいいわけをあなたと話したい そのあともしも 夜がきたら あなたの どうでもいいわけないわけを わたしに話してほしい   13 70 7102 瞳には瞳の心があるとして生きて生きることへの賛辞を送ります   10 80 7102 ふりかえる 愛しかない   30 80 7102 光がもっとも遅れている。   50 80 7102 詩のためにできる10のこと 新発見ではなく、再発見を 過去よりもいま つとめて変わらない生活をする あいしていると言わない 書き留めなくていい 正直な感情を知る からだに触れる 活動よりも休息を意識した空間をもつ 習慣をひとつもつ あしたはあると信じる 1出会いはあった。美しいもの、かけがえのないもの、 悲しいこと、すばらしいおもい。足りることはないかもしれない。 だが、じゅうぶんだとおもえることが目的ではなかったはずだ。 思い返したい。記憶のなかで、感情をとおして、 もういちど触れて、嗅いで、見て、知って、もういちど、 出会おう。わたしたちはなんどでも出会える。 すでに出会えたのだから。 見つかるものは、おそらく、あのころとはちがって見えるだろう。 ちがって聞こえ、感じられることを知ることになるだろう。 よろこびを悲しみ、雨にはしゃぎ、 夜よりも朝が愛おしくおもえるかもしれない。”あたらしい” と言いたくなりそうだ。 視点であって、総体でなくてもよい。変

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12 60 7102 安全なものに似ていた ふれるとやわらかかった もういちどふれた やっぱりやわらかかった カツンカツンと音がした みるとやわらかいものにふれるわたしの指は溶けてもはや骨だけに なっていた 骨は白くて 白いものはたしかに安全なものであるから わたしはとても安心した   32 60 7102 わたしが100匹の羊   52 60 7102 置き去りにされたのは99匹のほう 神のいないこの世界で、 一匹のわたしはもうずいぶん遠くへ行った/辿り着いた/消えた   72 60 7102 意味がないことに意味を付けすぎている 無は無であり、絶望とはちがうにもかかわらず   92 60 7102 白い犬も飾りたい   10 70 7102 願いはいつだってひとつしかない。 ありったけのしあわせをあなたに向かわせたい。   30 70 7102 大前提のことを、もっとよく知りたいです。   50 70 7102 頭のようなものがいたい。   70 70 7102 その本を手にとれば陳列棚が崩れるだとか、 この椅子にちょいと腰掛けようものならあっさり脚が折れるだろう とか、そんなことをいちいちと心配しています。 夢のなかではすでに、心配事ははじまっているので、 あとはむがむちゅうで逃げるしかありません。 窓をとびだし、森をかけおり、川にとびこみ、水をのみ、 透明の向こう側をこちら側から見上げます。 光は、そこにたしかにあるのだとどうやらわたしは知っています。 苦しみはありません。 こちら側からはほんとうにすばらしく見えるのです。 深い川はだからあんしんして沈むことができました。   90 70 7102 99匹のわたしが眠りはじめる    11 70 7102 自己の埋没こそが、世界につながる唯一の条件である。   31 70 7102 なにかがおかしいが、なにがなのかはわからない

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10 60 7102 身体性の欠如にむかう   30 60 7102 わたしが信じていることは、 わたしたちはことばではないということ。 どんなことばもあてはまらず、足りず、足りすぎるということ。 わたしが実践しているのは、 わたしたちをことばにしてしまおうということ。 記述しうる・配列・論理にして、機器・器官になろうということ。 ことばを手放してはじめて、 人間という枠の中にいれてもらおうということ。 こころは大きすぎるし、もろすぎる。空気や光も必要とする。 枠の中(箱の中)には、生きたままでは入れられない。 そして世界はどこにあるのかといえば、内側にある。   50 60 7102 目のない子を飾りたい。そして、 くちびるのない子にキスがしたい。   70 60 7102 わたしとあなた、ここに四人いる。四人のうちのだれが、 かれをころしてしまったのだろう。   90 60 7102 わたしたちはここにいるのに、どこにもいないようなのです。   11 60 7102 あなたは本 このよにただいっさつの本 あなたを読みたい   31 60 7102 パロディ 《やがてばらばらへと至る》   51 60 7102 いのちは算出できません   71 60 7102 よろこびもくるしみも、よろこびとくるしみでしかありません。 ことば以上のものはもうここにはありません。   91 60 7102 くりかえす 記述せよ

7/2

こえ なじみぶかいかれらがやってきた。 来るだろうとは、うすうす、知っていた気がする。 降りしきるこえが光れば、星とおもう。 震えていれば、弱いとおもう。 円周の壁をよじのぼるかれらを待つ。 この耳を手放すかくごなら、もうできていた。 * 7/2

6/28

グレッグ・イーガンのことはしらないままでしんでゆこうとおもう * 時間があっても、肉体と思考がなければ行為はうまれない。 ひとは、機能の低下によって、 さまざまな選択を手放すことになる。 読めない本を積む、行きたかった場所のリストを増やす。 「いつか」はない。 選択肢こそが時間である。 かんがえているのは、はんたいのことだ。 ひとが、肉体と思考を手放したあと、のこるものはなにだろう。 「時間」なのではないかとおもえて、ひとり、 苦笑するはめになる。 かれこれ三日ほど、笑いっぱなしである。 現実はわたしにしかない、とつねに考えているはずが、 時間は現実の外側にあるとおもいたいらしい。 わたしは、しかし、時間のことは、これまで考えてこなかった。 知ろうともしてこなかった。 そしていま、はたして、「時間」は、どこにあるのだろうか、 と考えているわけだ。 知らないことをかんがえるのは愉しい。 これ以上の自慰はない。 時間はどこにあるのか。 いや。 いつあるのか。 * 親不孝だからだろう。 火がある、という気がしている。 肉体と思考が欠落したあとには、時間があり、 時間とは火で、そこで消失した”わたし” なるものが焼かれるのだ。 えいえんに。 地獄はここにある。と彼は言ったが、 わたしはまだそれを、見つけられずにいる。 * 知ることは快楽だが、知らないことは救済だ。 この街。 美術館のない街、海がある街。 峠がある街、そこでひとがよく死ぬ街。 わたしは死にたいひとではない。 死にたい死にたいとおもいながら生きていくのは、 つらいだろうな、と想像する。 想像とは、くだらない方の自慰だなあ。 生きたい生きたいとおもいながら死んでゆくのも、 そこそこつらい。 比較と呼ばれる自慰を、わたしはゆるさない。 * エフエフが好きだが、グレッグ・イーガンをいまだ、 一冊も読んだことがない。 たぶん、「エフエフが好き」なんて言ってはいけない、 と怒られても、わたしはちろりと舌をだし、 首をちょこっとすぼめることしかできないだろう。 知れば、どきどきするだろうな。 世界はね、こうして拡がっていくんだ。 知ることだけが、あなたになる。 いちど拡がりはじめた境界は、こぼれた水のように、 あなたの監視はなくとも拡がりつづけるのだ。 止まるよ、水のかぎり、いずれは。 でもそのときまでに、わたしたちは、

これからはあたりまえみたいに生きていく

はじめに障子のさんをはたく そうしたほうがいいと教えてもらってからそうしている 黄色い鳥の値段を調べる 給料日の三日前、もう三日前に買っておいたお肉を ちゃんとゆっくり時間をかけて解凍して 四角いお弁当箱に入れる ふせんはまだ使い切れずにいる マーガレットの双子の秘密をあなたがひらく昼下がり わたしは黄色い鳥のための籠を探す 置くとしたら日影がいいのだろうか それとも窓辺か 巻き戻るメジャーの”びゅるん”凄まじい音と速さに驚いて あなたが帰ってきたら見せたいと思う わたしがいた場所は線路のすぐそばで セイタカアワダチソウは優しくしてくれたけれど 列車が撥ねる小石は身体中に小さな傷を作った 友だちはみんな列車に乗って行った 街があるのだ あの時も音は凄まじくて わたしはてっきりあなたは死んでしまったのだと 幾時間か歩いたところにある間欠泉に 骸を運んでいかなくてはならないと思ったの あなたが”小さな声”泣き出すのがあともうすこし遅ければ そうしていたことでしょう わたしたちは歩いて歩いて歩いて この街へやってきた まるでみんなと同じ列車に乗ってきたのだという顔をすることには わたしもあなたもすぐに飽きましたね これからはあたりまえみたいに生きていく

ツミルニルマ2

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9 きみが気に入らなかった万年筆も鞄に入れたよ。 よく晴れ日に使うと、とてもじょうずな字が書けるんだ。 雨の日の色鉛筆なんて、とてもよめない字になっちゃってさ。 だけどきみは、そのことをちゃあんと知っているから、 どうしよう。 ちょっぴり下手な字を書いて、あの万年筆じゃない、 って思ってもらおうか。 それとも、ごめんね、って書こうか。 伝えたかったから使ったけれど、ごめんね、気に入らない? ツミルニルマ、わたしには分からない答、 知っていたら教えてほしいんだ、よろしく。     10 近いとくっきり見える 遠いとぼんやり見える あいだに挟まれてるきみのことはしっかり見るよ。 ツミルニルマ、復路は残り1/3、夢によろしく。     11 今日はなんども食器を落としてしまった。 二度はとても大きな音がした。きみにも聞こえたかもしれない。 滴も、落ちるときあれくらい音が出せたならいいな、と思って、 こんど魔女にあったらするお願い事を決めたよ。 音を作ってもらうんだ! ツミルニルマ、ひとりきりでは泣かないで、どうかよろしく。     12 スタッカート! はい。(よく分からずに) スタッカート! モルゴモン?(なぞなぞかと思って) スタッ!カート!! はい。(怒られちゃった) スタッ はい!(早過ぎた!) よろしい。 はい。(よかった) よ・ろ・し・い! は・い! わたしたち、声と声で話してる。 きみとはことばで話せてるけれど、ときどき、声も聞きたくなる。 ツミルニルマ、やっぱりお願いは変える、よろしく。     13 お願い事がある? ある。 なぜ? あったから。はじめから、お願い事はあって、 わたしが気がつくのがいまだった。 お願い事はなに? 耳。 みみ? 耳がほしい。 よろしい。 ツミルニルマ、よい天気によろしく。     14 川下りの青年が、わたしのなかを下っていく。 オールもなしに、すいすい、進んでいくよ。 きみの声が聞こえる。 わたしを呼んでなんかいなくて、ふんふん、鼻歌を歌ってるね。 嬉しくて泣きそうだ。けれど、青年が溺れたらイケナイから、 泣いていないよ。 ツミルニルマ、セキレイのあしあとにもよろしく。     15 真っ暗だ。 きみの姿は見えなくなって、もうずいぶんまえから見えなくて、 もしかしたらはじめから見えなかったから、 いまも見えないのかもしれな

ツミルニルマ1

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1 起き上っているか、横になっているか、その中間。 人生は三つのうちのどれかひとつだ。 中間のとき、キスをしようよ。 ツミルニルマ、今夜も月によろしく。     2 大嫌いなものをやがて大好きになる、 わたしのへんてこりんな特技に、早く気がつけたこと、 よかったな、って思う。 早いってどういう意味なのかは分からない。 分からないことに出会えたこと、よかったな、って思う。 へんかな。 ツミルニルマ、きみのこと大嫌いになるつもりだからよろしく。     3 森のなかには森があるの? じゃあ木のなかには木が?わたしのなかにはわたしが? あるなかにあるなかには、なにがあるの? いつ、なくなるのかな? それとも、「ない」って、ないのかな。 だって、きみはあるよ。わたしもあるよ。 きみがなくて、わたしがないことなんて、 いままでいちどもなかったじゃない。 ツミルニルマ、あしたのあさはお味噌汁をおねがいね、よろしく。     4 かげぼしのなかまになって風を待つよ。 星がやわらかくなって、透明になって、わたしたちが願ったら、 風になるのかもしれない。 わたしにも、そんな正体があるかな、きみにも。 ツミルニルマ、願いをよろしく。     5 とびきり美味しいと、飛んじゃって帰ってこられない。 ちゅうくらいでいいよ。 なんなら不味いほうでもね。 ツミルニルマ、きみの火によろしく。     6 碇を下すとき技術が要るって知らなかったんだ。 きみの島はまだずいぶん遠い。 でも見えてるよ。 きみの作ったちいさなお城ときみに、いま、朝陽が射す。 ツミルニルマ、眩むといけないから、影のこちらは見ないように、 よろしく。     7 窓だと思ったらあけて 夜だと思ったらけして 雨だと思ったらさす きみだと思ったらすっとんでってBuon giorno!あいさつをするつもりだよ。 ツミルニルマ、そのときまで、 わたしだと思ってあなたをよろしく。     8 音がなにかを伝わって伝わる、音になる。 だれにも伝わるまえの音に名前をつけたい。 ツミルニルマ、この罪へ罰をよろしく。     往路   あなたの幸せはいらない わたしの幸せもいらない あなたの苦しみがほしい わたしに苦しみがほしい いまのところ この世界の構成にはまんぞくしている ほんとうのところ いま以上のまんどくはないと思うくらいまんぞくし

5月

光を、受け入れるのかもしれない。  R.D.レイン『引き裂かれた自己:狂気の現象学』天野 衛 ちくま学芸文庫 2017.1   祈りのことばは街角を街にする。   海は新しい形のものに思いがけず出会うと、 我を忘れて急いでそれを知りたがり、 把握しようと努力するのだが、 謎めいた法則によって定められた一定の境界を超える恐れが出てく ると途中で引きあげる羽目になるのだった。 スタニスワフ・レム『ソラリス』沼野 充義 ハヤカワ文庫SF 2015.4   記述できないものは、けっして、理解できない。 理解ということばに準ずる状態に至るには、 ことばが不可欠なのである。 みんな知りたい。 わたしたちは知るために生まれてきたのだ。 知れば、理解しうる。呑みこみ、呑みこまれる。 一体になれる。   なにもない場所(たとえばくらやみや永遠のなか)でも、「 知りたい」と思えるのだろうか。 まず、あって、あるそれを知りたいと思うのではないか。 いまいちど、ひとであることに、生きることに、区切りをつけて、 「ある」とだけ思ってはならないだろうか。   知るまえに、触れるまえに、見るまえに、くらやみのなかで、「 ある」、それだけをよろこびたい。 あなたを知らずに、あなたがあることを、祝福したい。  

6月

いま、どこも痛くない。 なんと幸福なのだろう。 あなたのしあわせをのぞみたい。   へんてこってさ、あつまってくるもんなんだよ。 あつまらなくっちゃ、生きてけないって、そうおもってさ。 へんてこで、よわいやつはさ。けっきょくんとこ、ひとりなんだ。 ひとりで生きてくためにさ、へんてこは、 それぞれじぶんのわざをみがかなきゃなんない。 それがつまり、へんてこさに誇りをもっていられる、 たったひとつの方法だから。 いしい しんじ『麦ふみクーツェ』新潮文庫 2005.7

7月

記述せよ。   ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたち はこわ 中澤 系『uta0001.txtー中澤系歌集』双風社 2015.5   わたしは数を必要としない。 大切なものはひとつあれば充分だ。 大切なものが増えるということは、わたしのなかの「大切」や「 すき」がばらばらになっていくことにほかならない。 感覚は無限にうまれるものではなく、ひとつの領域としてあり、 領域は対象の数だけ区画されていくのだ。   ばらばらになりたい。 わたしは、うつくしいものに破壊されたい。

8月

生きていれば会えます。 わたしはもう何度も出会えた。 ことばだけがいのちでありうることは、 さびしいことではありません。 だからさいごまで、わたしはことばであるだろう。   すべてのものは外側にあって、私に触れることはできない R.D.レイン『引き裂かれた自己:狂気の現象学』天野 衛 ちくま学芸文庫 2017.1   わたしはなしえただろうか 真空を わたしはかたれただろうか 物語を   ここまでを、わたしのことばとする ここまでを、わたしのものがたりとする  

10月

生きていかれません わかっています ことばがよめません わかっています まぶしくて、くるしくて、さびしくて、 わかって、わかって、わかって、 ねえ、いるの はい、います 本を読んでください ぼくはだれ 問いかける勇気はあるか あなたはだれ しる準備はできているか *   ほとんど想像しがたいことに思えたが、 何もかもが徐々に変化を重ね、 いまや世界だけで十分になっていたのである。 ポール・オースター『ムーン・パレス』柴田 元幸 新潮文庫 1997.9   カフカ作品と『タタール人の砂漠』にある構造( わたしという内部/世界という外部)が、ここにもある。 マーコ・フォッグ(内部)/やみねずみ(外部) そして、交錯。 世界(外部)/ねこ(内部)   (また、どちらにしても、女の子がキーになっていることも、 わすれてはならないだろう)   似てひなるふたつの物語には、ひとつだけ共通する力がある。 それは、だれもがかれらに語る、という力(アクション)だ。 わたしはここに、こうして生きている/生きてきた なんの責務も、権利もなく、かれらは問いかける。 おまえはどこで、どのように生きてきた/生きていく   応えよ。   ちいさいおおきいは、距離のもんだい。 いしい しんじ『麦ふみクーツェ』新潮文庫 2005.7   あなたの声はかならずとどく。

11月

翻訳 かれらのほんとうのことばをしらないままでいることは、 生の物語から目をそらしていることにならないだろうか。 原文を読むのに必要なのは辞書ではない。 それくらいは、英語教育を受けたわたしたちは知っているだろう。 意味とことばを目に見える糸で結ぶことはできない。 その第一の困難を、小説にする(活字にする) 時点で負っているのだ。 さらに、母国語ではない(生活に使用していない) ことばにある困難に、立ち向かえるだけの 愛はあるか。 ないうちは、翻訳家のてのひらから、ことばを受け取るしかない。 目をとじて、これがことばなのだと、自らにつよくつよく、 言い聞かせて。 隠喩のうみにあっては、 もっともかんたんなことばがわたしたちの目をとらえる。 浮きあがり、光のなかで暗くまたたく。   人はそれを絶望と呼ばねばならないのだろうか? 村上 春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮文庫 2010.4   引き算が得意なのは海外文学のようにおもう。 苦手なのではなく、系統として、 日本文学には隠喩が用いられている。 そうすることによって表現しようという試みがあるのだ。 どちらがいいという話ではない。 パンとご飯みたいなものだろう。 月と星、四と七、ワカメとメカブ。 人生は隠喩である、と言ってしまえば、 たしかに楽なのかもしれない。 意味のために、矢印、等号、クレッシェンドを打つ。 いのちには価値を、生には理由を、愛情には背景をあたえる。 これまでの道のりをキャバスにして、わけのわからない色を塗る。 それを「うつくしい」とよぶ。 だって、うつくしいのだから。 わるいことではないのだ。 たいがいの状況、たいがいの関係、ことば、には、 あんがい悪意は根づいていない。 思いのほか、人生は結末ばかり、 数式の答ばかりだ。   ときどき、おもう。 わたしたちは、どこかで、ものがたりでも、 ことばでもないものとして生きなければならない瞬間を、 おろそかにするための文学にしてしまってはいないだろうか、と。 言い訳のための注釈として、用いてしまってはいないだろうか。 なあ、あまえたいかい。 ああ、あまえたいよ。 だが、うらぎりたくはないだろう。 ああ、うらぎりたくはない。 ことばを。 ものがたりを。 ここで生きているわたしを。 大切なものを大切にしていたいわたしを、うらぎりたくない

12月

「私は死んでしまえば殺されない」  R.D.レイン『引き裂かれた自己:狂気の現象学』天野 衛 ちくま学芸文庫 2017.1   もうなにひとつ望みはないという絶望が、希望になるとき、 そこにいるのはあなたですか ここにいるのはわたしでしょうか ひとつだけ、言えることがあるとすれば、 わたしたちは生きている、ということ。 生きているかぎり、 わたしたちはいのちであり、こころであり、 ことばでありつづけるしかない。 原子が決めたことなのだ。 わたしになる、と。   パラドックスはえいえんに尾を噛む。   そして、わたしは身にまわされていた彼の両腕をほどき、 わたしたちは手をつないで家のなかにはいって、愛を交わし、 あなたをつくるの。 テッド・チャン『あなたの人生の物語』浅倉 久志・他 ハヤカワ文庫SF 2003.9   ここに完全解がある。 それを知っていながら、わたしたちはなにをしているのだろう。 なにをしていないのだろう。  

1月

くらやみがやってきた こんにちはと言って、むかえてやろう おまえはわたしだ   *   僕はまだここにいる ジェニファー・ニーヴン『 僕の心がずっと求めていた最高に素晴らしいこと』石崎 比呂美 辰巳出版 2016.12   みんな声をもっている ことばをはなしている それは目に見えるし、形もあるし ときにはだれかのこころにとどく 小さな声だとしても あなたは声をもっている     ここには、はなせるひとしかいない     ひとつのことばももたないひとはいない     それが、ここだ   ここ//ここ  

2月

理解が引き金になることがある。 終点のさきに、なにもなかったら? 最大の希望が、あなたを傷つけたら? 理解とは知ることでしかない。 3/4に対する印象がひとそれぞれちがうように、 理解したとしても、そのひとはあなたの心にはならない。 わたしをみて。 叫ぶリスクをわかっているか。 わたしをしって。 終りのあとのことを、考えたことはあるか。 おそらく、だれが想定しているよりも、ずっと、ずっと、 世界は広い。 ひとはひとりでも複数で、ふたりになると数えきれない。 それでも、たにんに救いを求めてはならない。 救いの印象は、あなたの中にしか見つけられないのだ。 理解は救いではない。 あなたの背中を無邪気に押す、こどもの手のようなものなのだ。   *    「おとうさん、お魚はどこへ行ったの。」 「魚かい。魚はこわいところへ行った。」 宮沢 賢治『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波文庫 1967.1   現実はこわいところにある。 たいせつにしまいこんだ心のうち、わたしによく似たものが、 おびえている。   「こわいよ。おとうさん。」 宮沢 賢治『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波文庫 1967.1

3月

  *   そういう私達についての物語は、生そのもののように、 果てしがないように思われた。 堀 辰雄『風立ちぬ・美しい村』新潮文庫 1951.1   わたしはわたしを知りたい。 だから、だれかが書いた百冊ではなく、 あなたが書いた一冊が読みたい。 鏡の城はうつくしいだろう。飽きないだろう。 そこに世界はあるだろう。わたしの外があるだろう。 世界はあなたが手に入れて。 わたしはひとつでいい。 あなたが掲げるひとつの鏡をのぞきこみ、 たったひとりで映るわたしを見つけたい。 わたしは眼がよわいから、そこまででもう、十分だ。

4月

わたしを書き換えてほしい あなたのことばで * 「あなた、ぼくの足を見てらっしゃいますね」 J.D.サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』野崎 孝 新潮文庫 1974.12   ひとはみな個人でありたい。わたしでありたい、 ゆいいつでありたい。 生きていくには概念になることだ。 名称のもとで、必要条件をみたし、少年であり、友人であり、 傷つける者であり、悲しむ者であることだ。 そのとき、「わたし」はもういない。 いないと、しかし気がつかないことこそ、ある到達・成功である。 完全なる概念化を望みながら どうしようもなく、「わたし」に魅かれる。 心にうそはつけない。書き換えるしかない。 現実はわたしにしかないのだ。 共通のことばなど、どこにもない。 あなたのことばで、あなたになりたい。  

5月

ひとはことばによって構成される よって、ことばをうしなえば真空になれる 真空はわたしたちをまもる 誠実な庇護者はことば以外でわたしをゆるす 手っ取り早い方法が、だからことばである わたしをうしないたければまず、 わたしがことばにならねばならない わたしがものがたりにならねばならない 生命をかけてことばを綴ることの危険性がここにある。 詩にも似ているが、詩には「詩である」という命綱があり、 小説にはそれがない。 だがほんとうのところ、 業務としての執筆をしている人間は存在しないのではないだろうか 。 わたしたちは彼らの作品を否定することで、 彼らの生命そのものへの否定をしている。 おおきな話ではない。 これはありふれた痛みだ。   それじゃ-中略-わたしはずっと愛し続けてきたことになるわ トルーマン・カポーティ『草の竪琴』大澤 薫 新潮文庫 1993.3   作家という箱を語るのか、物語という箱を語るのか。 そして語るべきことばを、ほんとうに持っているのか。 もしも、甘えたことを言ってよければ、ひとはみんな、 おなじじゃない。だれもがおなじじゃない。 傷つきやすいひともいれば、痛みがわからないひともいる。 わたしはカフカを読んで泣く。 カポーティのことも、こころから読んで、こころから潰して、 こころからいっしょに沈んでゆけそうだとおもっている。 * でも、このごろじゃ、生意気な連中が冷やかしでやって来て、 笑い出すんだからいやになるねーーときどき、私は、 この男の耳が聞こえなくてよかったと思うときがあるよ。 そうでなかったら、あんな連中に笑われたら、この男、 傷ついてしまうよ トルーマン・カポーティ『夜の樹』川本 三郎 新潮文庫 1994.3   カポーティの作品ではじつにさまざまな人物(立場) が目となるが、『夜の樹』や『ミレニアム』『無頭の鷹』 といった「ただのわたし」こそ、もっとも 鮮烈な光を見ることになる。 弱さはときに光であり、 光はときに希望とはとうてい言えぬ生々しい力を持ち得る。   そんなにこわがらなくていいよ--中略--この男、 なにもあんたのことを傷つけたりしないから トルーマン・カポーティ『夜の樹』川本 三郎 新潮文庫 1994.3   かれらの世界において、すれ違うだけの存在にこそ、 なんの容赦もなく、光は向けられる。 弱い者から、「ただのわた

6月

てきとうなことばが見つからず、わたしたちは「世界」 などと言ったりする。 わるくはないと思っている。 さあ、明日は、わたしたちの週末だ。 今晩はふたりきり、世界には秘密の夜更かしをしよう。   あの川のむこうーー人々は言うことだろうーーあと十キロも行けば 着くだろう、と。 ところが道はいっこうに終わらない。日は次第に短くなるし、 旅の道連れも次第にまれになっていく、窓辺には生気のない、 青白い顔をした人々が立っていて、首を横に振るだけだ。 ブッツァーティ『タタール人の砂漠』脇 功 岩波文庫 2013.4   人間ではなく、人生を描くこと。 わたしではなく、わたしの人生を生きること。 そのときおこるのは優劣ではない。 呑み込みである。 現実を(人間を、わたしを)排除した、 盤上のゲームがうまれるのだ。   君にも分かっているだろう、この砦には…… みんな望みをつないで居残っているんだ……うまく言えないが、 君にもよく分かっているだろう --中略-- 今ではこうしたことにすっかりなじんでしまって、 それを捨てるとなると、さぞつらい思いをすることだろう。 ブッツァーティ『タタール人の砂漠』脇 功 岩波文庫 2013   それでも夢中で生きているひとは、かわいそうなのだろうか。 かえりみ、あわれみ、笑うことで慰めとするべきだろうか。 わたしにはそれがよくわからない。   それは古い木の板の中にも生命への執拗な愛惜が呼び覚まされる時 なのだ。遠い昔の、幸せな日々には、若々しい熱と力が流れ、 枝からは無数の芽が萌え出ていたのだ。それから、 木は切り倒された。そして春が巡って来た今、ごくかすかに、 生命の脈動が蘇ってきたのだ。 昔は葉や花が、 そして今はそのおぼろな思い出だけが軋み音となって蘇り、 それっきりまた次の年まで眠りにつくのだ。 ブッツァーティ『タタール人の砂漠』脇 功 岩波文庫 2013   自然の美しさだけが(なんて安易なことばだろう)、 かれらを物語にする。いのちにする。 砂漠を待って、えんえんと春をむかえつづける。 そしてまた、冬。   ちょうどその時、雪が降りはじめた、重くて密な、 真冬のような雪だった。まるで信じられないほど、またたく間に、 岩棚の上の砂利は真っ白くなり、そして光は不意になくなった。 それまで誰も真剣には考えていなかった夜がだしぬけに来たのだ

7月

  精神病の従来の「治癒」の多くは、 何らかの理由で患者が再び正気を演技する決心をした、 という事実のうちに存するのだと私は確信する。 R.D.レイン『引き裂かれた自己:狂気の現象学』天野 衛 ちくま学芸文庫2017.1   すくわれたことはありますか。 わたしはある。  

8月

本をよむあなた 本をよまないあなた 山尾 悠子をよみなさい 以上!   *   八月のピアノが調律されているのだ。 カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』村上 春樹 新潮文庫 2016.3   物語はその性質上、つねに内へと向いている。 めりこみ、埋没し、統合されていく。 物語は生きていて、同時に、死につづけている。   永遠の少女を描いた作品が、『悲しみよこんにちは』だとすれば、 マッカラーズが描いたものは、「たったひとりのわたし」である。 ここにも、 世界/わたし の構図がある。   あなたでありわたしである、過去であり未来である。 セシルは少女であり、女であり、エルザもアンナも、 セシルである。 答をしる「少女」は、いくぶん、作りものめいている。 作りものであることは、そうでない場合よりも、 おだやかな流れをあとに残す。 残酷ではない、絶望が足りない、という意味ではない。 二百ページに満たない物語の中で、なんど、かのじょらとともに、 「転換」を経験するだろう。 目も眩むような、という表現があとからあとからついてくる。 だが、そこには、生き抜いて、 これからも生きうる人間のうむ物語には、どうしても、消せない「 跡」があるように思えてならない。 ひかりの跡、汚れていないことばの匂い。 「永遠」をしる住人、かのじょ、かれらに自覚される「永遠」 の色彩。   F・ジャスミンが交われない・属せない現実は、 そこにあるだけでまぶしい。 だからこそ、読まねばならない。 なぜ。 ひかりだけが目を焼いてくれるから。   わたしを調律する八月がやってくる。 世界に呑まれるのは、すでに属している少女ではなく、いまだ「 外」にいるわたしなのである。   「きれいな蝶々だね」と彼は言った。「 みんな中に入ろうとしている」 カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』村上 春樹 新潮文庫 2016.3