*圧殺

もしも、こんばん帰ることができないとわかっていても、わたしは、

「いってきます」も言わずに、家を出るだろう。
窓は内向きにあけたまま、飲みかけの水も、グラスにそのままに、仕事へ向かうだろう。
末のおとうとは、わたしが出掛けたことを、わたしが帰宅するまで知らないだろう。

別れは、わたしたちのあいだには割り込めない。

両親のことを、「あいしている」とは、いつもどおりおもいながら、わたしは、
もしも、こんばん帰ることができたとしても、
「ただいま」も言わずに、家に入っただろう。

重ねていくもしもを現実にして、わたしはあしたも目覚め、
きょうも眠り、きのうも生きて、死んでいく。

あいまいな境界のことを知れば、ここも、あのときも、「もしも」のすべてが、
わたしの家で、わたしは帰り着くことができるかもしれない。

うかうかとしていると、まるで、苦悩があるかのように、心理が方針を変える。
夜も朝もあたまを重たくして、両目をひとしくぎょろつかせる。
問題と、たいする解決策をさがさねばならない、やっきになる。

まちがいだ。
わたしには悩みはない。解決のある問題はない。
どうにも、働きかけつづけなければならないらしい。
はじまった転換は過剰な力動による。
つぶされないためには、力にしたがい、力をもち、もちいることだ。
わたしはわたしに働きかけなければならない。
ほかに、力の向けるさきはないうえに、あたらしいわたしからもたらされる圧殺は、
わたしの望んでいるものではないのだ。
真空とはおおよそちがう。

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