***ベンチ

視線

ひとがどんなにたくさんいても、わたしを見ていない
ひとがどんなにたくさんいても、わたしだけを見ている

たとえようのない視線が見たものは、わたしのなにだったのだろう。

傷つくことは裏切りに思える。
しかしそのまえに、わたしはいちばんたいせつな、ゆいいつの存在を裏切ったのではないか、とも思う。

まだ子どもだったころ、公園のベンチに腰掛けたことがある。
わたしは空が見たかった。
空気を吸いたかった。

いまのわたしは、あのときのわたしなのかもしれない。

きんじられた幼いわたしが、いま、空を見て、
空気をめいいっぱい吸っている。

顔をあげられない愛しいひとに、わたしは手をふる
となりのベンチに座るひとのために、わたしは泣けない

 

ひとがいのちであることを思いだそう。
あす、わたしに刺さる視線を、きちんと、いのちなんだ、と受け入れよう。
あれは感情ではない、無感情でもない、いのちなのだ。

ゆうきがほしいのだろう
そのきぶんは、あんがい温順しく、長毛の仔猫みたいに、ふわりふわりと先端をひからせる

しすがにしなさい

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