****ユートピア

かんかんひとつ、いのちみたいにしまっておく

それとも、いのちひとつ、かんかんみたいに空にする?

虚無は実存しないが、虚無感は生まれうる。
日々の選択と削除(おもに削除)ががんらいの思考傾向に干渉し、ものや、ものごとを、虚無と呼んでしまいそうになる。
けれど、それはちがう。
もしもあす死ぬとしても、わたしの今日はここにある、無ではない、真空でもない、ある。
死んだあとに意味が残らないからといって、今日のわたしに時間をさきこさせて、死んだみたいに過ごさせることはないのだ。
むしろ、生きねばならない。
本を読み、ご飯を食べ、感謝し、いくらかは泣き、眠らねばならない。
いのちはそんなふうにして、愛してやるべきだ。
生活はそんなふうにして、生活させてやるべきだ。
ごうまんなわたしに所有されているのだ、それくらいの返礼はしたほうがいい。

そうは言っても、迷いながら、選んでいた本を受け取りに行くことにした。
ずっと読みたかった、このさきの人生にのこすつもりだった、ほんの数冊。
いまあらためてみると、前向きなとりあわせだ。
わたしは救いたかったのかもしれない。
わたしを。

完璧ではないひとにかぎって、主義にしてしまう。 わたしもそう。
そのままでいい気がしていたのだけれど、思いかえして、すこしこわしてしまおうと思う。

ここには、六月一日から七月三十一日までの、奇数日にかぎり、ことばの予約投稿をしてある。
八月以降もそうしようとおもっていた。時間のつながりが気に入らない性分であるから、おくれてしか存在しないことばが、わたしにはやさしかったのだ。

予約投稿は八月一日までとする。

代わりに、偶数日になるが、このような文章も付け加えることにする。
パソコンはもう手もとにないから、本文はメールで送信する。(おなじ理由で、細かなデザインの変更・調整はもうできない)

自分でつくったユートピアを、意識をひろげて、すこしだけこわす。
こわれる音は聞こえないくらいちいさい。わたしの心臓のほうがよほど、ばくばくうるさい。

説明するこの文章すら気に入らないが、すこしくらい、苦しんだらいいと思う。

もうあまり心配事はないのだ。
気を楽にして、苦しむのもいい。

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