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わたしの仕事はみんなの歩いたあとを消すこと
兄は恥ずかしい仕事だといいます
なにもいえずうつむくのは母です

わたしは恥ずかしいとは思わない
けれどさびしい仕事だとは思います

ほめられることはありません
邪魔だ、とよく怒られてしまいます

主任は眼のおおきなひとで
怖がりなわたしはうまく眼を見ることができません
主任は怒ってはいないと思います
恥ずかしいと思っていないだけ

わたしはあしあとを消しますが
あしあとに、消してごめん、とは思いません
ただ消して、消えたなと思って、消してごめんとは思わない
さびしいのはわたしのほうだ

あした、わたしは仕事がおやすみ

今日、わたしがみんなのあしあとを消すためにつけたたくさんのあしあと

あした、主任が消す

 

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月の夜にかけだしていくツミルニルマ
ひかりの筋を二本引き

 

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二等辺三角でいう等しくはない一辺がわたしであること

 

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立ちどまっているわたしにぶつからないで

もっと苦しむべきだった。恐れていたことを経験し、できないと考えていたことに取り組み、苦痛を享受すべきであった。

もうじゅうぶん苦しんだ、これで楽になれる。

そんなふうにはとうていおもえない。

今日はいい日だった、つぶやくわたしはぼんやりとしている。疑い方をしらない。

 

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《ありがとう》

存在の申し訳なさの表出が足りないのだ。

今日はつらかったね、昨日もつらかったからだよ。
わたしの周りに無言地帯ができる。
わたしはときどき汚物で、ときどき犯罪者で、ときどき見たこともない、たとえばトロールみたいな、ファンタジィな存在。
ときどき看守がつく。
わたしは働く。
終りました、って言う。
看守はまだおしゃべりにこうじている。
わたしはいなくなる。
看守とほか、九千九百九十八名は、自らの軌道に戻る。

わたしはひとです。
あんまりおもわないけれど、今日はおもった。
わたしは労働者です。
あなたが今日、休日であるように、わたしは今日、お仕事であるという、それだけのちがいです。

ばこん。
何何られるとは言いたくない。
ばこん。
でもいま、わたしとあなたはぶつかりましたよ。

ごめんなさい!
叫びたかった。
だれにとってもわたしが邪魔になってしまうことを謝りたかった。

わたしは反射が鈍い。
話しかけられると答えるが、なにと答えたのかと考え始めるのは、ずっとあとだ。
感情は、だから、思考よりもさらにあとだ。

今日はつらいなとおもって、いまにも泣きそうだとわかって、そんなきぶんで、身体でいたから、
「おつかれさま」って言われて、
「今日は暑いね、お水、飲みながらやりなね」
って言われて、
はい!って答えた。
はにかみもした、とおもう。

あさ、うちをでるとき、うちにジャムパンが三個あることに気がついていた。
帰ったら、食べていいんだなとおもって、おだやかなきぶんで仕事に向かった。

帰ってくると、うちの鍵がしまっていて、末のおとうとはわたしの顔をわすれていて、
わたしはわたしの鍵で帰宅したけれど、部屋は、36度もあって、
扇風機をことしはじめて回した。
まだ掃除していなかったから、羽根についたほこりも一緒に回った。

ゆうがたになった。

おつかれさまです。
どうもありがとう。

こころから。

 

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一冊だけの詩集に触れて
持ち帰るには重過ぎるから
一冊だけの詩集は今日も
この書架の中眠り続ける

何度目にある濁点の死を
知らせるための空虚な息を
あなたがそっと掴もうとして
掴んだものを見てはいけない

結句のあとにある体温と
結句のさきにある空白へ
わたしは頬を差し出している
反対側も内側だから

幾頁にもなるルビ打ちに
閉ざされていく懸命な目を
あなたがそっと覆うときには
この手のひらをあなたに見せる

わたしの頬をあなたに見せる

その時までの小さな書架に
わたしの名から譲り渡そう

 

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個々の人間の孤独を容認すること、その孤独のみが自由をも超越することを教えることができなかった

アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』佐藤 高子 ハヤカワ文庫SF 1986.7

 

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姉ちゃんは家へ帰ると思う

宮崎 夏次系『夕方までに帰るよ』モーニングKC 2015.9

 


うちへ帰ろう。


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