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51 70 7102
ふさわしいことばがある。「永遠」だ。

 

71 70 7102
あなたの特徴につける名前はありますか

それは括弧におさまりますか

あるいは名前のまんなかに・で挟んで表示するべきものですか

 

91 70 7102
あなたの言葉につける名前はありますか

それは言葉でできていますか

あるいは温度をもっていますか

生きているのですか

 

12 70 7102
連絡船が運航をやめて以来わたしとわたしははなればなれです。

 

32 70 7102
「わたしはこころではなくなった。ようやく。」

 

52 70 7102
365日やさしいこころでいたい。

だけどそうなれなくて、そうなりたいときには、パンを買いに行きます。

 

72 70 7102
パ・イ・ナ・ツ・プ・ル、パ・イ・ナ・ツ・プ・ル

 

92 70 7102
《話したい》

泣かないでとは言えないから
朝がきたら
どうでもいいわけをあなたと話したい
そのあともしも
夜がきたら
あなたの
どうでもいいわけないわけを
わたしに話してほしい

 

13 70 7102
瞳には瞳の心があるとして生きて生きることへの賛辞を送ります

 

10 80 7102
ふりかえる 愛しかない

 

30 80 7102
光がもっとも遅れている。

 

50 80 7102
詩のためにできる10のこと

新発見ではなく、再発見を
過去よりもいま
つとめて変わらない生活をする
あいしていると言わない
書き留めなくていい
正直な感情を知る
からだに触れる
活動よりも休息を意識した空間をもつ
習慣をひとつもつ
あしたはあると信じる

1出会いはあった。美しいもの、かけがえのないもの、悲しいこと、すばらしいおもい。足りることはないかもしれない。だが、じゅうぶんだとおもえることが目的ではなかったはずだ。思い返したい。記憶のなかで、感情をとおして、もういちど触れて、嗅いで、見て、知って、もういちど、出会おう。わたしたちはなんどでも出会える。すでに出会えたのだから。
見つかるものは、おそらく、あのころとはちがって見えるだろう。ちがって聞こえ、感じられることを知ることになるだろう。
よろこびを悲しみ、雨にはしゃぎ、夜よりも朝が愛おしくおもえるかもしれない。”あたらしい”と言いたくなりそうだ。
視点であって、総体でなくてもよい。変化は希望であるし、結論ではなくていい。いま、見えているものを見ればよく、それを”あたらしい”と呼びたければ呼べばよい。

2ふるい記憶や、あたらしい記憶は、あんがい、よみがえってこない。人生はたいてい多忙であるし、退屈するには、時間が(概念は、もつひとにとっては実体だ)世話を焼かす。
あらためて、アルバムを開くことはない。記憶は、記憶ではなかった時間に体験済みなのだ。
天秤にしたがおう。わたしは、いま、目のまえにあるものをとらえたい。

3生活が低下することは、ときには、免れない。避けるべきは「過剰」だ。これまで以上のことをやろうとしたり、やりたいと考えることは、むちゃであり、破たんをぐんぐん、手繰り寄せることになる。つとめて変わらない生活をすること。倒れそうなら倒れる。走りたくても走らない。

4わたしの気づきが大切なのであって、伝える(与える)ことによって、相手をコントロールしようとする行為は不要だ。
あいしていること、それ以上のよろこびはない。

5ことばはわたしであり、わたしの所有物ではない。詩はどちらか。
形にすることを目的にすると、目がくらみだす。有形には完全の概念がつきまとうからだ。至るには、とうてい、出会いも時間も足りないし、自分も足りなければ、ことばも足りない、足りないだらけにおもえてしまうだろう。
ひとつ、呼吸をはさもう。てのひらをひろげよう。
所有するのではなく、わたしであるのだと、誤解でもいい、思おう。

6いつわらざるきもちに気がつけるだろうか。あるものを見られるとはかぎらないように、きもちも、あるから知ることができる、とは言えない。
見つけたら、掴むことだ。ねたみ、渇望、あっけないよろこび、伝えたい、知りたくなかった、足りない、きもち。すこしかもしれないし、おもったよりも、たくさん見つかるかもしれない。大きいかもしれないし、ちっぽけかもしれない。あるいは漠然としていて、ことばでは言い表せられないものもあるだろう。ことば以前の感情を見つけられたら、eureka!、すてきなことだ。(そのときには、不安や恐怖も同時に見つかるだろう。表現し得ない、自分にはできそうもないものに、ひとは震える)
恥ずかしさくらい受け入れてやって、正直な感情をとらえよう。そのさきは、ない。気づきだけがあり、それでいいではないか。

7ねえ、って言って、肘のあたりを、つん、突っついてもいいし、ぎゅう、抱きついてもいい。
ひとりなら、右手に左手を重ねよう。握手しているみたいにも、手を繋いでいるみたいにも、ままならない思いが伸ばす触手の会話にもおもえる。
あたまを、撫でてみてもいい。照れくさいなら、触れるだけでもいい。てっぺんに、てのひらをのせる。意外にも、あたたかい。
ここにからだがある。それは、たしかめつづけなければ、わからなくなってしまう。

8文献を積み重ねて、皿を並べて、窓を開けて、ようやく休息ができるひともいれば、なにもない空間でなければ休まらないひともいる。それぞれにひつような空間をもち、活動ではなく休息をすること。空間ではなく休息を確保する。

9あのひとを見かけたら、駆け付けて、挨拶をする。帰宅したら、靴を揃える。群のうち、白い鳩をさがす。なんでもよい。ひとつ、習慣をもち、もつことを意識し、働きつづけることだ。身につけるためではなく、瞬間を知覚するために、とくべつな習慣にしておくこと。わすれて、とくべつではなくなっても、ふと、一瞬の意味は、わたしを捉えるだろう。
信頼してよい。世界は、わたしをわすれはしない。

10あしたもあるとおもって眠ろう。ないなどとおもいもしない、終りを知らない子どもになって、目を閉じよう。
しはわたしのためにあるのではない。わたしのそばにあるものだ。

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