8月

本をよむあなた
本をよまないあなた
山尾 悠子をよみなさい

以上!

 

 

八月のピアノが調律されているのだ。

カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』村上 春樹 新潮文庫 2016.3

 

物語はその性質上、つねに内へと向いている。
めりこみ、埋没し、統合されていく。
物語は生きていて、同時に、死につづけている。

 

永遠の少女を描いた作品が、『悲しみよこんにちは』だとすれば、マッカラーズが描いたものは、「たったひとりのわたし」である。

ここにも、 世界/わたし の構図がある。

 

あなたでありわたしである、過去であり未来である。
セシルは少女であり、女であり、エルザもアンナも、セシルである。

答をしる「少女」は、いくぶん、作りものめいている。

作りものであることは、そうでない場合よりも、おだやかな流れをあとに残す。
残酷ではない、絶望が足りない、という意味ではない。
二百ページに満たない物語の中で、なんど、かのじょらとともに、「転換」を経験するだろう。
目も眩むような、という表現があとからあとからついてくる。

だが、そこには、生き抜いて、これからも生きうる人間のうむ物語には、どうしても、消せない「跡」があるように思えてならない。

ひかりの跡、汚れていないことばの匂い。

「永遠」をしる住人、かのじょ、かれらに自覚される「永遠」の色彩。

 

F・ジャスミンが交われない・属せない現実は、そこにあるだけでまぶしい。

だからこそ、読まねばならない。
なぜ。
ひかりだけが目を焼いてくれるから。

 

わたしを調律する八月がやってくる。
世界に呑まれるのは、すでに属している少女ではなく、いまだ「外」にいるわたしなのである。

 

「きれいな蝶々だね」と彼は言った。「みんな中に入ろうとしている」

カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』村上 春樹 新潮文庫 2016.3

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