7月 - 5月 17, 2020 記述せよ。 ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ中澤 系『uta0001.txtー中澤系歌集』双風社 2015.5 わたしは数を必要としない。大切なものはひとつあれば充分だ。大切なものが増えるということは、わたしのなかの「大切」や「すき」がばらばらになっていくことにほかならない。感覚は無限にうまれるものではなく、ひとつの領域としてあり、領域は対象の数だけ区画されていくのだ。 ばらばらになりたい。わたしは、うつくしいものに破壊されたい。 コメント
***ベンチ - 6月 24, 2020 視線 ひとがどんなにたくさんいても、わたしを見ていない ひとがどんなにたくさんいても、わたしだけを見ている たとえようのない視線が見たものは、 わたしのなにだったのだろう。 傷つくことは裏切りに思える。 しかしそのまえに、わたしはいちばんたいせつな、 ゆいいつの存在を裏切ったのではないか、とも思う。 * まだ子どもだったころ、公園のベンチに腰掛けたことがある。 わたしは空が見たかった。 空気を吸いたかった。 いまのわたしは、あのときのわたしなのかもしれない。 きんじられた幼いわたしが、いま、空を見て、 空気をめいいっぱい吸っている。 顔をあげられない愛しいひとに、わたしは手をふる となりのベンチに座るひとのために、わたしは泣けない ひとがいのちであることを思いだそう。 あす、わたしに刺さる視線を、きちんと、いのちなんだ、 と受け入れよう。 あれは感情ではない、無感情でもない、いのちなのだ。 * ゆうきがほしいのだろう そのきぶんは、あんがい温順しく、長毛の仔猫みたいに、 ふわりふわりと先端をひからせる * しすがにしなさい 続きを読む
**言語(まほう) - 6月 24, 2020 まほうって、あのひとは言ったのだったか わたしの目にも、いま、まほうがかかっていて 世界がとても優しく 美しく 尊く 泣きたいほど愛しくおもえる わたしは、「みんなとおなじ」、 ということばにこだわってきたけれど、ようやく、わかった、 っておもう わたしは足りなくなんかなかった 手があって 足があって よくあることばだと思っても聞いて 声があって どこもいま痛くなくて 真実だとわたしが思えたことが大切だから わたしのぶんのロッカーがあって わたしが歩く場所がある あたまのなかには場所がなかったんだ 空間がなくて ことばもなくて だからわたしは安らげたのだけれど この 雑多な世界もすてきです わたしはじゅうぶんに生きている 価値があり 意義がある なによりも まほうにまもられている * わたしがなくなる、とふるえたのだった なくなったのかどうかはもうわからない ただ いまのわたしがここにいる 続きを読む
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