2月
理解が引き金になることがある。
終点のさきに、なにもなかったら?
最大の希望が、あなたを傷つけたら?
理解とは知ることでしかない。
3/4に対する印象がひとそれぞれちがうように、
わたしをみて。
叫ぶリスクをわかっているか。
わたしをしって。
終りのあとのことを、考えたことはあるか。
おそらく、だれが想定しているよりも、ずっと、ずっと、
ひとはひとりでも複数で、ふたりになると数えきれない。
それでも、たにんに救いを求めてはならない。
救いの印象は、あなたの中にしか見つけられないのだ。
理解は救いではない。
あなたの背中を無邪気に押す、こどもの手のようなものなのだ。
*
「おとうさん、お魚はどこへ行ったの。」「魚かい。魚はこわいところへ行った。」
宮沢 賢治『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波文庫 1967.1
現実はこわいところにある。
たいせつにしまいこんだ心のうち、わたしによく似たものが、
おびえている。
「こわいよ。おとうさん。」
宮沢 賢治『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波文庫 1967.1
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