2月

理解が引き金になることがある。

終点のさきに、なにもなかったら?
最大の希望が、あなたを傷つけたら?

理解とは知ることでしかない。
3/4に対する印象がひとそれぞれちがうように、理解したとしても、そのひとはあなたの心にはならない。

わたしをみて。
叫ぶリスクをわかっているか。
わたしをしって。
終りのあとのことを、考えたことはあるか。

おそらく、だれが想定しているよりも、ずっと、ずっと、世界は広い。
ひとはひとりでも複数で、ふたりになると数えきれない。

それでも、たにんに救いを求めてはならない。
救いの印象は、あなたの中にしか見つけられないのだ。

理解は救いではない。
あなたの背中を無邪気に押す、こどもの手のようなものなのだ。

 

  

「おとうさん、お魚はどこへ行ったの。」
「魚かい。魚はこわいところへ行った。」

宮沢 賢治『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波文庫 1967.1

 

現実はこわいところにある。

たいせつにしまいこんだ心のうち、わたしによく似たものが、
おびえている。

 

「こわいよ。おとうさん。」

宮沢 賢治『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波文庫 1967.1

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