無日1

 

ヘルシーマフィン

ことばは信頼するものではなく、存在のために利用する、よろいであり、身代わり、わたしの場合には、ヘルシーなマフィンみたいなものだ。
わたしはマフィンを美味しく焼く。ヘルシーなのにあまく、魅力的に丸みをおび、想像通りの匂いがする、プレーンマフィン。
ひとに、ときどき食べてもらう。
おいしいと言われることも、好みではないと言われることもある。
その感想がわたしのそんざいを構築する。
わたしはわたしではなく、マフィンとして、よのなかに存在する。

どんなにまずいと言われても、惚れ込みましたとつきまとわれても、わたしはマフィンだから、痛みも悲しみも、マフィンがかんじ、マフィンが傷み、マフィンが大事にされる。

生きるためにはなにをしてもいい。例外はない。
あなたのいのちのために必要なものは、必要なだけもちいるべきだ。
そこに法や、倫理や、いまの時点の医学や、世間体や、あなた自身の迷いなど関与すべきではない。
なにをしてもいい。
だれかよりも、だれかのいのちに価値がないという判断は、いまあるだけのこと。
いまのすべてが真実だと考えるのはおろかなことだ。
ひと昔まえには個性だったものに、いまはICDコードがつく。
暴力性が、戦争地帯でかぞくをまもる。
これは麻薬だが、場合によっては保険適応できます。
ものをたくさんもっているひとと、ほとんどもたないひとのどちらがセオリーだろう。

知識として教えられてきたよりも、げんじつでは個人の判断がたいせつになってくる。
だれも答を知らない。
ただしい道も、解決策もない。
あったら、この星はとっくに滅びているはずだ。
いちばん易しい状態は、なにもないことなのだから。

自分の意志であなたはそんざいしている。
わたしは、お人形でいいよ、とは言ってやれない。
その代わり、あなたをゆるしたい。
あなたがあなたのいのちをまもるために、選ぶすべてを、許容したいとおもうのだ。

あなたの現実はあなたがすきにすればよい。

だが、あなたのいのちはあなたのものではない。

傷つけることも終わらすことも、あなたには認められない。
生きなさい。
選択肢はない。

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