5月
ひとはことばによって構成される
よって、ことばをうしなえば真空になれる
真空はわたしたちをまもる
誠実な庇護者はことば以外でわたしをゆるす
手っ取り早い方法が、だからことばである
わたしをうしないたければまず、
わたしがものがたりにならねばならない
生命をかけてことばを綴ることの危険性がここにある。
詩にも似ているが、詩には「詩である」という命綱があり、
だがほんとうのところ、
わたしたちは彼らの作品を否定することで、
おおきな話ではない。
これはありふれた痛みだ。
それじゃ-中略-わたしはずっと愛し続けてきたことになるわ
トルーマン・カポーティ『草の竪琴』大澤 薫 新潮文庫 1993.3
作家という箱を語るのか、物語という箱を語るのか。
そして語るべきことばを、ほんとうに持っているのか。
もしも、甘えたことを言ってよければ、ひとはみんな、
傷つきやすいひともいれば、痛みがわからないひともいる。
わたしはカフカを読んで泣く。
カポーティのことも、こころから読んで、こころから潰して、
*
でも、このごろじゃ、生意気な連中が冷やかしでやって来て、笑い出すんだからいやになるねーーときどき、私は、 この男の耳が聞こえなくてよかったと思うときがあるよ。 そうでなかったら、あんな連中に笑われたら、この男、 傷ついてしまうよ
トルーマン・カポーティ『夜の樹』川本 三郎 新潮文庫 1994.3
カポーティの作品ではじつにさまざまな人物(立場)
弱さはときに光であり、
そんなにこわがらなくていいよ--中略--この男、なにもあんたのことを傷つけたりしないから
トルーマン・カポーティ『夜の樹』川本 三郎 新潮文庫 1994.3
かれらの世界において、すれ違うだけの存在にこそ、
弱い者から、「ただのわたし」へ、力は振りかざされるのだ。
無名の者が傷つくとき、
ケイはいまだ列車の中、ミリアムは手を振り、
名乗りをあげて、自らが光を放てなければ、
さびしいし、かなしいし、こわいのだ。ひとも世界も、わたしも、
ときどき連中がドアのところにきて、ノックをしたり、叫んだり、お願いだからといったりする。それから、連中は、 これまで聞いたことがないような歌を歌いはじめた。しかし、 ぼくはといえば、ときどき、連中にピアノで一曲弾いてやり、 こっちは大いに元気でいることを知らせてやっている。
トルーマン・カポーティ『夜の樹』川本 三郎 新潮文庫 1994.3
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