It's Kind of a Funny Story
取り返しのつくことなどない。
才能を彼女が持っていないように、
痛みにはまず耐えねばならない。実際に、
苦痛が前提としてあることにより、生存の技術は培われていく。
Sisters by chance
Friends by choice
『うわさのツインズ リブとマディ』2014
自分に(偶然とわたしは呼びたい)ある芽を見つけ出し、
父親のセーターはわたし、
アクセントは後者にある。父はわたしではないのだ。
見えない傷があり、見える痛みは在り得ないこと。
わたしたちは肉体である。まず目で見、耳で聞き、肌で触れ、
痛みは知覚できない。心で見つけるしかない。
見えないものはない、と思い込みやすい。そのほうが単純で、
ない、と信じることは、だが、さびしい。あるかもしれない、
傷には肉体で、痛みには精神で寄り添いたい。
折り合いをつけ保つことは、美しい行為だろうか。
わたしがわたしである以上、三本目の腕は望んではならない、
正しいこと、結末、総体は、美しく見えるものだ。
ひとは、正しい存在だろうか。この旅は中途(永遠に)であるし、
答はわたしにあるのかもしれない、すでに与えられている、
それでも、あがいていいのだ。
わたしを変えたい、あなたになりたい、
できないことができるようになりたい、
美しくなくていい。人生はどきどきするほうがいい。苦しさにも。
楽器を持っていない人は? ご心配なく ボーカルを頼もう
『It's Kind of a Funny Story』2010
わたしとあなたを分け合うこと、それさえ忘れなければ、
ほかのだれも“わたし”ではない。ならば、わたしがここにいる、
確かめることは、おそらく、不可能だ。
だが、わたしは、選択に基づくものとして、
わたしたちは、わたしたちによって確かめられる。
名前を呼びあって、存在を分け合って、確かめ合って、
“あなたはそこにいる”、認めることが、
はじめに「鍵」と口にしたのはドーラ、ジョズエが「ゲーム」
ひとは、自分達の想定よりも、はるかに、我慢強い。
日常が崩れ落ちる、がらがら、音が聞こえたら、
わたしが“わたし”であるという無二の希望は、偶然、
あとは親友になるだけだ。
窓にたどりついたあまつぶが、われさきに、伝う。
しずくになったまま張りついて、これでよし、というものもある。
この雨が止んだら、流れ落ちた雨も、張りついた雨も、等しく、
そのとき、
答も光もいらない。そんなきぶんに時々なる。
これ以上、わたしを破壊したくなくて、ぴしゃり、
ほんとうの希望ではないと知っているから希望と呼ぶのだ、
そのとおりだと思う。
名前は希望だ。
ときどき絶望だ。
わたしはわたしの名の檻にわたしを閉じ込める。
わたしの名を持たぬ者を、持たぬ者という檻に閉じ込める。
呼び合えるから、
わたしたちはちいさな希望を実現していく。
わたしたちはおおきな希望を切り捨てていく。
さようならと助けて、ひしめき合っている。
よく分からない。
環境のせいにしないということは、
絵が安価であったならば、この世界はどんなふうだったろう。
色で思考し、形で伝え、筆が天井からぶら下がり、
詩が安全であったならば、ソネットが身ぐるみになり、
大好きも大嫌いもない場所がある。
そこにはことばによる訳なく、ひきつけられる。魅力ではなく、
わたしには、『スティル・ライフ』と『熊の敷石』が惑星だ。
謎も興味も感動もない荒廃に(小説とは、例外なく、閉鎖的・
そういう、わけのわからないものが、だれにとっても、
ときには絵で、ときには詩で。
小説で、汗に見つけてもいいし、もちろん、
世界は多様で、多様であることは破壊的でもある。
一方、わけのわからなさ、というやつは、多様であればあるほど、
間口を広げておいて、星々を生まれるままに受け入れて、
測り切れない、安心を与えられよう。
それくらいの恩恵はもらってもいいくらい、わたしたち、たぶん、
生きているという安心を、だれかに与えている。
安心したら、また、歩き出そう。
そうは言っても、この大雨では、わたしよりも、
あなたの窓を、
わたしとあなたのあいだにある、たったひとつの(第三者による)
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