ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

声はことばじゃない。ことばは世界じゃない。世界は物語に包括される。

ならば、物語とはいったいなにだ。

わたしたちだ。

 

時間は存在する。連続する帯ではなく、点として、場所として存在する。だから、わたしたちはいつでも、その場所を訪れることができる。思い出に、過去に、出会いつづけることができるのだ。

ひとの死は、わたしたちの方向感覚に作用する。一方向に駆り立てることもあれば、『いま、ここ』を見失わせて、迷子にもしてしまう。

 

ひとびとは語る。ことばで、声で、身振り手振り、まなざし、沈黙で、そして生活で。

だれもが喪失を知っている。語りたがっている。

 

語られないものの存在、ことばでも、ことば以外のなにものでも語り得ない存在を、わたしたちは忘れてはならない。見つけられなくても、知ることができないとしても、ただ、『ある』と、気がつくことが大切なのだ。

声のおおきなひと、ことばの雄弁なひと、表現に長けているひとばかりではない。だれにでも、たったひとつ、だれかにとってはかんたんな一言さえ、言えないときもある。聞こえているはずの声が、聞こえないときがある。

 

声として、声にならない場所をも探すこと。そうすれば、ことばは見つけ出すことができる。ヒントはいたるところに、調査を待っているあたらしい場所みたいにある。

わたしたちは見つけ合い、話し合える。

 

わたしたち自身はけっしてことばではないが、ことばであるという希望はなくならない。なぜならば、ことばは生きていて、どうにかしてわたしたちになろう、物語になろう、とあきらめないからだ。

 

わたしたちは歩いていく。それが、生きていくということだから。

遠ざかるのはいつでもわたしたちのほう。どんなに遠くまで歩いても、『あのとき』はなくならない。そこにあって、だから振り返れば、いつでも会えるのだ。

 

答え合わせはできない。

 

ちいさな声に耳をかたむけよう。

星をみるように、ゾウの涙をぬぐうように、注意深く、そっとそっと、やさしく、見つけ出そう。

見つけたものを、わたしに見せて。

どちらにも読み解けない暗号文でも、『あるね』とは言えて、言えたらきっと、ほんのすこしかもしれないけれど、ほっとできるだろうから。

それが、物語のはじまりになるのだから。

 

 

その日わたしは学校にいた。わたしたちには翌朝、彼らには百の色が都会の海をなぞるはずのときだった。

だれもなにも言わなかった。それとも、だれか、なにか言っていただろうか。憶えていない。

事実は単純だ。

旅客機がビルに突っ込んだ。ビルが崩れた。ひとが、大勢死んだ。

職員室の、普段は通電していないテレビがついていて、それは、ちょうど部屋の隅、窓から射す光が反射してしまわないように、高い位置に置かれてあった。

みな、それを見上げていた。

ことばなく。

 

わたしたちはあの日のことを語ってこなかったように思う。語るにしても、ノルマンディや稲作伝来とおなじ、だれかがこしらえた文脈で、冊子で、年号でしか、語っていない。

その日はたしかにあって、わたしたちは生き延びたにもかかわらず。

 

不自由さに対しての慣れをしらないばかりに、ことばが見つからないことを切り捨てすぎてきて、現実は、だからすべてをことばで記述しうる、という信仰を、それもことばでされるものだから、なんとなく、否定しがたい。

首を振るだけでは、違和感は伝わらない。

ことばには、ことばの応酬が求められる。

 

たしかに、ことばであることが、存在をうみ、存在の論証をいくらか容易にする、というふしはある。

 

『BORNS』2012 シーズン8 第6話 『あの日を忘れない』 原題『The Patriot in Purgatory』

 

百万人の死を、一人の死の百万倍悲しむひとが好きだった。いまは、百万人の死に、自分を死なせてしまうひとのことを憐れに思う。

映画では、百万を一人にするこころみがあり、形になった。オスカーの物語になった。

全体を感じたのはBORNSの方だ。

どちらがいいわるいではなく、どちらも、わたしの感覚によるのみである。

肝心なこと、大切なことは、その日があったこと、あったと語られることである。

 

わたしたちは沈黙で語ることを覚えた。そこには受取人への信頼が不可欠であり、なければ、わたしたちは、語らないことで物語を抹消しようとこころみることもできてしまう。行使しない暴力で、ひとを殺せる。

 

現実を否定するとき、わたしが否定される。

わたしたちの枠は、肉体/表層ではない。

存在するために手を繋ぎ合う粒子、それがわたしたちである。

わたしとあなたは結ばれている。

断ち切れば、わたしもあなたも0になる。

1こそ、幻想なのである。

 

映画はiTunesで観ている。

再生すると、がんばりすぎるパソコンが、ボオンボオン、ファンを回す。

だから、雨の日に観ている。

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