ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
声はことばじゃない。ことばは世界じゃない。
ならば、物語とはいったいなにだ。
わたしたちだ。
時間は存在する。連続する帯ではなく、点として、
ひとの死は、わたしたちの方向感覚に作用する。
ひとびとは語る。ことばで、声で、身振り手振り、まなざし、
だれもが喪失を知っている。語りたがっている。
語られないものの存在、ことばでも、
声のおおきなひと、ことばの雄弁なひと、
声として、声にならない場所をも探すこと。そうすれば、
わたしたちは見つけ合い、話し合える。
わたしたち自身はけっしてことばではないが、
わたしたちは歩いていく。それが、生きていくということだから。
遠ざかるのはいつでもわたしたちのほう。
答え合わせはできない。
ちいさな声に耳をかたむけよう。
星をみるように、ゾウの涙をぬぐうように、注意深く、
見つけたものを、わたしに見せて。
どちらにも読み解けない暗号文でも、『あるね』とは言えて、
それが、物語のはじまりになるのだから。
その日わたしは学校にいた。わたしたちには翌朝、
だれもなにも言わなかった。それとも、だれか、
事実は単純だ。
旅客機がビルに突っ込んだ。ビルが崩れた。ひとが、大勢死んだ。
職員室の、普段は通電していないテレビがついていて、それは、
みな、それを見上げていた。
ことばなく。
わたしたちはあの日のことを語ってこなかったように思う。
その日はたしかにあって、
不自由さに対しての慣れをしらないばかりに、
首を振るだけでは、違和感は伝わらない。
ことばには、ことばの応酬が求められる。
たしかに、ことばであることが、存在をうみ、
『BORNS』2012 シーズン8 第6話 『あの日を忘れない』 原題『The Patriot in Purgatory』
百万人の死を、一人の死の百万倍悲しむひとが好きだった。
映画では、百万を一人にするこころみがあり、形になった。
全体を感じたのはBORNSの方だ。
どちらがいいわるいではなく、どちらも、
肝心なこと、大切なことは、その日があったこと、
わたしたちは沈黙で語ることを覚えた。
現実を否定するとき、わたしが否定される。
わたしたちの枠は、肉体/表層ではない。
存在するために手を繋ぎ合う粒子、それがわたしたちである。
わたしとあなたは結ばれている。
断ち切れば、わたしもあなたも0になる。
1こそ、幻想なのである。
映画はiTunesで観ている。
再生すると、がんばりすぎるパソコンが、ボオンボオン、
だから、雨の日に観ている。
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